キャラコさん
雪の山小屋
久生十蘭

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)紺碧《こんぺき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)南|瑞西《スイス》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
−−

     一
 雲ひとつない紺碧《こんぺき》の空。
 波のようにゆるく起伏する大雪原を縁《ふち》取りした、明るい白樺の疎林や、蒼黝《あおぐろ》い針葉樹の列が、銀色の雪の上にクッキリと濃紫《こむらさき》の影をおとし、岳樺《たけかば》の枝に氷雪がからみついて降誕祭《クリスマス》の塔菓子のようにもっさりともりあがり、氷暈《ハロオ》に包まれてキラキラと五彩にきらめきわたっている。
「ヤッホー」
「ヤッホーホー」
 志賀高原の朝日山のスロープの裾《すそ》で、花束をふりまいたような美しい四五人のお嬢さんが、すべったりころんだり、キャッキャッと高笑いしたりしながら、思い出したように声をあわせて山の中腹へよびかける。
「は、や、く、来いよウ」
 朝日山の北側のスロープの中腹に、赤煉瓦の煙突《チムニイ》をもった石造のしゃれた山小屋《ヒュッテ》が建っている。
 窓のあけかたや、長押《なげし》の壁に日時計をつけたところなどをみると、南|瑞西《スイス》のモン・フォールの山小屋《キャバーヌ》をまねてつくったものだということがわかる。
 日本信託の森川氏が、娘やその友達のために建てたもので、毎年《まいとし》、一月のはじめごろになると一行が、料理番の婆やと女中をひとりつれてやってくる。日本女学園のやんちゃな連中で、このスロープを自分たちだけで独占して、朝から夕方までたいへんな騒ぎをやらかす。
 山小屋《ヒュッテ》の入口から、アストラカン・クロスの上衣《カーディガン》に派手なマフラアを巻きつけた森川氏の末娘の梓《あずさ》さんがヒョックリと出てくる。つづいて、黒いウールンのスキー服を着たキャラコさんがスキーをかついで現われてくる。
 梓さんは締金具《ピンドング》をしめ終ると、麓《ふもと》のほうへ片手をあげて叫ぶ。
「おうい、直滑降だぞォ」
 麓にいる連中が、怒鳴ったり、拍手したりする。
「やれイ――」
「やッつけろ――イ」
 梓さんは身体をかがめると、銀色に光るスロープにあざやかなシュプールをひきながら、一団の雪煙りになって弾丸のように滑降して行った。キャラコさんは、ちょっと心配そうな顔つきで眺めていたが、梓さんがみごとなフォームで制止したのを見届けると、スラロームを描きながらゆっくりと降りて行った。

 毎年の例では、大姉さまの朱実さんか森川夫人が、お転婆《てんば》さんたちの世話やきと監督にやってくるのだが、今年は、長兄と次兄が二人ながら戦地へ行っているのと、朱実さんのお嫁入りがちかづいたのとで、とてもこんなところへ来ていられない。
 こういう場合には、いつもキャラコさんに白箭《しらは》の矢がたつ。
 森川氏も森川夫人も、二人ながら熱心な長六閣下の帰依者だが、それと同時に、沈着で聡明な長六閣下の末娘にも絶対の信頼をおいている。キャラコさんにさえ任せておけば、どんな心配もいらないのである。手に負えない梓さんたちの組も、この小さな先輩をこころから好いて、『常識《コンモン》さん』のいうことならなんでもきく。
 川奈の国際観光ホテルで、あんな思いがけないことがあった翌々日、東京の森川夫人から電話がかかってきた。
「でも、父はどういうでしょうかしら」
「ええ、それは、もう、ちゃんとお願いずみなの。……新聞記者がつめかけてきてたいへんだから、東京へ帰らずに、まっすぐそちらにいらっしゃいって。……ね、剛子《つよこ》さん、お願いしてよ」
「あのひとたち、とても、あたしの手に負《お》えませんの。……でも、そんなにおっしゃるんでしたら、お引き受けしてよ」
 あまり物事に動じないキャラコさんが手に負えないというくらいだから、その連中のやんちゃぶりはたいてい察しられる。しかし、キャラコさんは、梓さんたちの組がだいすきだ。すこし、贅沢に馴らされているようなところもあるが、どの娘もおおまかで、ものごとにこだわらず、自分のしたいと思う通りを精一杯に振る舞う。単純で、快活で、健康で、見るからに気持がいい。
 おしゃまのユキ坊や、詩人の芳衛《よしえ》さん、画の上手なトクさん、陽気なピロちゃん、チビの鮎子さん……、それぞれ、みな個性のはっきりした、溌剌たるお嬢さんたちだ。
 梓さんのほうは、すこし浪曼的《ロマンチック》で、自分の気に入ったことなら、なんでもすぐ夢中になってしまうという欠点があるが、お父さまはたいへん濶達《かったつ》な方だし、兄弟もみな率直ないいひとたちばかりなので、その影響で、どんなちいさなことでも、自分ひとりでこそこそやったり、隠しだてしたりしない、さっぱりした気性を持っている。
 器量よしで、たいそう色が白く、いつも夢を見ているような大きな眼は、何かに夢中になると急に熱ぽくなり、何か自分の思い通りしたいようなときは、思いがけない大胆な眼つきに変る。いつも、きちんと衿《えり》の詰まった、プロシアン・カラーの趣味のいい単純な服を着ている。これが、必要以上に梓さんを真面目くさくも見せ、また、あどけなくも見せる。

 山小屋《ヒュッテ》は、広い料理場と乾燥室のついた、二階建のがっちりした建物で、大きな広間の天井には煤色の栂《とが》の太い梁《はり》がむきだしになっている。天井まで届くような大きな煖炉《オーフェン》の中で、白樺や落葉松《からまつ》の太い薪《まき》が威勢よくはじけ、鉄架の上で珈琲沸《パーコレーター》がいつも白い湯気をふきあげている。
 四時ごろキャラコさんが山小屋《ヒュッテ》につくと、一同は、煖炉《オーフェン》の前の床に胡坐《あぐら》をかき、シトロンの大きなコップを順繰りに廻して「乾杯」をしながら、でたらめな歌をうたって騒いでいた。ベスという大きなシェパードが、一緒になってワンワン吠えながら広間の中を走り廻っていた。
 キャラコさんがやって来たのを見ると、みなうれしがって、もう一遍、もういっぺんと、いくども乾杯して、苦しがってゲエゲエと咽喉《のど》を鳴らした。
 二階へあがってみると、四つの寝室はまるで戦場のようなありさまだった。カアテンはひきむしられ、椅子は倒れ、スーツ・ケースはみなひっくりかえされて、下着や、靴下や、ペテーや、その他、使途不明なさまざまなものがところかまわず撒《ま》きちらされ、花瓶の中には上靴が突っ込んであるし、水差しの中には喰べかけのチョコレートとハーモニカと歯ブラシが同居している。
 キャラコさんは外套をぬぐ間もなく、女中のときやに手伝ってもらって四つの寝台をキチンと片附け、鞄のものはそれぞれもとのところへおさめ、戸棚を整理したり、カアテンをつり直したり、たっぷり夕食ごろまでかかってしまった。
 食事の時間はまた革命と暴動がいっしょに起きたような騒ぎだった。みなペコペコにお腹をすかし、めいめい、わけのわからないことをわめきたてながら海賊のように食卓に飛びつくと、箸がくるのを待ちかねて、紅茶の匙《さじ》でご飯をすくったり、肉の掛汁《ドレッシング》を舌でなめたりした。
 森川氏は有名な美食家なので、酒棚《さかだな》にはムールソオやバルザックやクレクスなんていういろいろな葡萄酒が並べられてある。
 食事がすむと、梓さんの提議で、キャラコさんの歓迎の意を表するため、本式に乾杯することになった。梓さんは触れれば消えてしまうかと思われるような薄いヴェネチャの洋盃《コップ》を持ち出して来てひとりひとりの手に持たせ、もったいぶったようすで紅玉《ルビイ》のようなシャトオ・ディケムを注いで廻る。そのうしろから、キャラコさんが水瓶《フラスコ》を持って、みなの葡萄酒を、ほんのり薔薇色か、ひょっとすると、曙《あけぼの》の色くらいに薄めてあるく。
 チビの鮎子さんが、音頭《おんど》をとることになって元気よく立ちあがったが、なんというのだったか忘れてしまった。鮎子さんは仏蘭西《フランス》語でやっつけたいのである。それで、となりのピロちゃんにたずねる。
「なんて、いうんだっけ!」
「ア・ラ・ヴォートル!」
「たった、それだけ?」
「あたりまえだア」
「じゃ、ね、ア・ラ・ヴォートル! ……われらの監督さんの安着を祝し、キャラコさんをわれわれのもとへ派遣した長六閣下の寛大なるご処置に感謝いたしまァす」
 ア・ラ・ヴォートル! といいながらひと息に飲みほして、だれもみな、あまり美味《うま》くもないような顔をした。
 画の上手なトクさんが、
「渋いや」
 といって、てれくさそうに舌を出した。
「水臭いだけだ」
 と、梓さんがやりかえした。おしゃまのユキ坊やが、
「でも、蓬《よもぎ》の匂いがするよ」
 というと、詩人の芳衛さんが、
「あら、菫《すみれ》の匂いよ」
 と、抗議した。それから、めいめいいろんな匂いを持ち出して金切り声で主張し合った。
 キャラコさんも、だんだん愉快になって来て、みなと頭をくっつけ合わせて、笑ったりしゃべったりした。
 窓のそとの大きな星を眺めながら、ピロちゃんのハーモニカに合わせて合唱をした。
『ロッキーに春がくれば』という歌が気に入って、いくどもいくどもくりかえして唄った。そして、みな、涙ぐんだ。
 間もなく、眠くなった。
 煖炉《オーフェン》のそばでごろ寝したがるのをお尻をたたいて二階へ追いあげ、二人ずつひとつの寝台へ押し込んで丁寧に毛布でくるんでやった。
 キャラコさんは、梓さんと二人で仲良く寝床へ入った。山の中の夜はしんとしずまりかえり、遠い雪山が青く光っていた。

     二
 空はクッキリと晴れているし、雪質は申し分ないし、キャラコさんは午前ちゅう夢中になってすべった。
 昼食がすむと、みなは志賀ヒュッテまで遠征することになった。
 天狗岩の下を通って行くと木戸池のほとりへ出る。ちょっとしたプロムナアドにはたいへん快適で、このコースはキャラコさんも大好きだったが、長六閣下に手紙を書かなければならないので、ひとりだけ小屋に残った。
 夕靄《ゆうもや》がおりるころになって、一行はたいへんな元気で帰って来た。スロープのずっと下からキャッキャッと笑う声がきこえ、みな、なにかひどくはしゃいでいた。
 おしゃまのユキ坊が息せき切って広間へ駆けこんでくると、キャラコさんの耳に口をおっつけて、
「ね、大事件があったの」
 と、大きな声で怒鳴った。
 キャラコさんは、あわてない。広間の入口のほうを見ると、梓さんをはじめ五人の顔が不足なく揃ってるし、誰といって怪我《けが》をしたようなようすもない。それどころか、みな上気したような赤い顔をして、入口にちかいところに手をつないで一列になって突っ立って、笑い出したそうな顔でこちらを見ている。
 キャラコさんが、落ち着いた声でたずねる。
「大事件、って、なにかあったの」
 ユキ坊やは息をはずませながら、
「また、チャーミング・プリンスに出っくわしたの」
「それは、どなたのこと?」
 ユキ坊やは栗鼠《りす》のような黒い大きな眼をクルクルさせて、
「あら、まだ話してなかったんだわ。……うン、じゃ話そう。大事件なのよ」
 トクさんが走って来た。
「いやよ、あたしに、話さして」
 詩人の芳衛さんも、ピロちゃんも、梓さんも、鮎子さんも、あたしよ、あたしよ、と叫びながら飛んで来て、前うしろからキャラコさんにむしゃぶりついた。
 キャラコさんは船のように揺られながら、
「おとなしくなさいね、順々にきいてあげますから」
 六人は、急いでめいめいクッションを持って来て床の上に敷き、キャラコさんのまわりに円陣をつくった。
 まず、ユキ坊やにたずねる。
「それは、どんな方なの」
「とても上品な、四十歳ぐらいの紳士なの。……ほら
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング