い焦《あせ》り気味になってしまう。
(ともかく、すこしでも早く行きつかなくては!)
 無事なうちにつかまえることができたら、娘への愛のために、錯乱して嘘までいう母の心というものをわからせて見せる自信があった。それさえ説明すれば、自分の不幸な恋愛が、頭の弱い母をどんなに悩乱させたかはっきりと了解するにちがいない。
 今、さし迫った問題は、神秘的なようすをしたあの青い池の水が梓さんを呑み込む前に、うまくそこへ行きつけるかどうかということだった。さすがに、気が気でなかった。
 天狗岩の下まで行きつくと、近道をするためにスキーもはいらないような藪《やぶ》の深い急坂勾配《きゅうはんこうばい》[#ルビの「きゅうはんこうばい」は底本では「きうはんこうばい」]をまっすぐに登りはじめた。見透しもつかないほどの密林で、それに、セカセカと急ぐので足の調子がうまく行かなかった。海豹皮《シール》がきかなくなってズルズルとすべり落ち、そのたびに雪の積った枝に足をとられてみごとにひっくり返った。藪がひどいのとルックザックを背負っているのとで、起きあがるまでの苦労はなみたいていのことではなかった。
 汗が顎《あご》を
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