なくてはならないと考えていた。
 二階で、ピロちゃんが、とぎれとぎれにハーモニカを吹いている。なにか妙なぐあいだった。
 キャラコさんは、みなに気づかれないように揺椅子《ゆりいす》から立ちあがると、そっと広間を出て二階へあがって行った。
 ピロちゃんは、こちらへ背中を向けて窓のそばに坐り、しゃくりあげながらハーモニカを吹いている。
 キャラコさんは、そのそばに寄って行って、肩に手を置きながら、
「ピロちゃん、どうしたの」
 と、しずかにたずねると、ピロちゃんは急にハーモニカを投げすてて、窓枠《まどわく》にしがみついて泣き出した。
「……あたし、梓さんが、どこにいるか知っているの」
 キャラコさんの胸のところがドキンといった。できるだけ気軽な口調でたずねた。
「そう、どこにいるの」
 ピロちゃんはキャラコさんの腕に手をかけて、
「告げ口だと思わないでちょうだい、ね。……梓さんは、チャーミングさんのところへ行っているの」
「ピロちゃん、あなた、どうしてそんなこと知ってるの」
「あたし、見たの。きのう、二人で散歩しているのを」
 そういって、両手を顔にあてていっそう劇《はげ》しく泣きだした。
「……キャラコさん、あなた、……あたし、いま、……どんなに悲しいか、……わからないでしょう。あたしも、チャーミングさんを好きだったの。……でも、もう、いいの」
 急いで涙をふくと、またハーモニカを取り上げて、それを吹きながら階下《した》へ降りて行った。
 キャラコさんは寝台のはしに腰をおろして、ジッと考えていた。
 二人の交際が、どこまで進んでいるのか知らないが、思い過ごしすることも、多寡《たか》をくくることも、どちらも同様に危険だと思った。また、二人の関係がどうあろうと、自分などの口を出せるような事柄ではないのだから、のみこんだふうにうまく取りはからおうとするような軽薄なまねをしてはならないと、よく自分の心にいいきかせた。さしあたって自分のすべきことは、あまり遅くならないうちに山小屋《ヒュッテ》に連れかえることと、一日も早く東京へ引きあげるように提議することだけだと考えた。
 キャラコさんは、首にマフラーを巻きつけてそっと玄関からすべり出すと、天狗岩のしたまで行き、ギャップを左に巻いて岩の上へ登って行った。
 截《き》り立った断崖の上へ立って見おろすと、陰気な落葉松《からまつ》の林
前へ 次へ
全27ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング