んは顔をしかめて、
「放ってお置きなさいよ。きっとまた興にのって、どこかですべっているのよ。お名残《なご》りに笠山《かさやま》まで行こうかなあ、なんていってたから」
ピロちゃんは、
「ふうん、そうなのか、ふうん」
と、納得しないような顔つきをしていたが、急にやかましくハーモニカを吹きだした。
トクさんは、とうとう怒って、
「ピロちゃん、うるさいわよ。勉強してるんじゃないの」
と、きめつけると、ピロちゃんは、
「うへえ、大した勉強だな。みんな鼻の頭ばかりなでているじゃないか」
と、やりかえしておいて、ハーモニカを吹きながら二階へあがって行ってしまった。
キャラコさんは、揺椅子《ロッキング・チェア》にかけて、愉快そうに笑いながら編物をしていたが、心の中はなかなかそれどころではなかった。すこし、気になることがあるのである。
ふだんは、すこしにぎやかすぎるくらいで、独りでいることの嫌いな梓さんが、チャーミングさんがお茶に来た次の日あたりから急にものをいわなくなり、広間の隅や寝室の窓のそばでぼんやりと坐っていることが多くなった。熱のある子供のようなうっとりとした眼つきをし、なにかたずねると、とんちんかんな返事ばかりした。
寝床へ入ってから、あまり静かなので、眠っているのかと思って薄眼《うすめ》をあけてうかがうと、梓さんは、闇のなかで大きな眼をあけて、瞬きもせずに天井をみつめていた。寝息《ねいき》を乱すまいとして、ことさらに規則正しい息づかいをしていることがよくわかった。手が燃えるように熱くなったと思うと、急に氷のように冷たくなったりした。いつ眼をさまして見ても、梓さんの眼はあいていた。
次の朝、いつものように、
「昨夜《ゆうべ》は、よく眠れて?」
と、たずねると、梓さんは、
「ええ、よく眠れたわ」
と、大儀そうにこたえた。
顔つきが急におとなっぽくなり、それに、血のけというものがなかった。どんな小さなことでも胸のうちにしまって置けず、すぐなんでも話してしまう、気さくな梓さんのこの変りようがキャラコさんを驚かした。
キャラコさんは、梓さんがいま何を考えているかわかるような気がしたが、軽率なあて推量をしてはならないと思って、それ以上は深くかんがえないことにした。もし、自分が推察していることが本当だったら、その時、自分がとるべき態度だけははっきりきめておか
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