窮して、心にもないお愛想を言った。
「ここのお宅、気にいってるみたいね。お住いになっているの?」
「こんな空家《あきや》、気にいるもいらないも、ないじゃないの……でも、人間に疲れて、ひとりになりたくなると、朝でも夜中でも、東京から車をとばしてきて、この家へ入りこんで、はだしで谷戸《やと》を歩きまわったり、罐詰をひっぱりだして食べたり、二三日、ケダモノのようになって暮すことがあるわ」
手枕をして、長椅子にあおのけに寝ると、マジマジと天井を見あげながら、トゲのある調子で、
「あなたの人気、たいへんよ……芳夫のお嫁さんに来てもらうつもりで、おやじとおふくろが、いろいろと画策しているわ……でも、問題にもなにも、なりはしないわねえ。芳夫みたいなやつ、あなた、なんだとも、思っちゃいないんでしょ?」
救われた思いで、サト子は、うなずいた。
「じつのところは、そうなの……東京へ帰ったら、すぐお伺いするように、叔母に言われているんですけど……」
「来ることなんか、ないわ。よかったら、あたしが、言ってあげましょうか」
「それじゃ、失礼よ……あたしの役だから、じぶんでやってみるわ」
「あなたって、おしとやかね……秋川、あなたのようなタイプ、好きなのかもしれない……そう言えば、死んだ細君に、どこか似たようなところがあるわ」
だしぬけに、起きあがると、
「むこうの部屋に、死んだ細君の写真あるわ。見せてあげましょうか」
と甲走《かんばし》った声で言った。
カオルが言っているのは、勝手にはいりこんだと言って、愛一郎が腹をたてていたその部屋らしかった。
「そんなもの、見せていただかなくとも、結構よ」
「まァ、見ておくものよ。秋川の親子、どうかしてるってことが、わかるから」
サト子を客間から連れだすと、とっつきの階段を、先に立ってあがって行く。庭でも歩きまわったあとらしく、うすよごれたはだしの足の裏に、草の葉が、こびりついていた。
片側窓の二階の廊下の端まで行くと、カオルはそこの部屋のドアをあけた。
三方が窓で、勾配《こうばい》のついた天井を結晶ガラスで葺《ふ》き、レモン色のカーテンが、自在に動くような仕掛けになっている。
壁ぎわのベッドの背板に、いま脱いだばかりというように、薄いピンクの部屋着を掛け、床《ゆか》の上に、フェルトのスリッパが一足、キチンとそろえて置いてあった。
窓のそばに、ニュウ・スタイルの三面鏡と、弧になった大きな化粧台がつくりつけになり、そのうえに、美しい面差をしたひとの写真が、ひっそりと乗っていた。
カオルは庭にむいた扉をあけて、手のこんだガラスの風除《かざよ》けのついた、ヴェランダのようなところを見せた。
「この外気室、ホンモノよ……秋川夫人が、ここで五年ばかり闘病していたんだけど、ダメだったの……秋川夫人、絶滅の場よ。すごいみたいでしょ」
おだやかな秋の夕日のさしこむ、ひろすぎるおもむきの部屋は、もの悲しいほどキチンとかたづいていて、すごいというような感じは、どこにもなかった。
「しずかすぎて、うっとりするわ」
サト子が、そういうと、カオルは、はげしい身振りで、さえぎった。
「そういう意味じゃないのよ……見てごらんなさい、この行き届きかた……秋川は、病妻のために、サナトリアムをひとつ、建てるくらいの意気ごみだったそうよ」
そう言えば、似たところもあるような秋川夫人の写真をながめながら、サト子は感慨をこめて、つぶやいた。
「大切にされた方だったのね」
カオルは、鼻で笑って、
「秋川には、死んだ細君は永遠の女性で、愛一郎にとっては、貞潔のマリアなの……部屋を死んだときのままにしておいて、親子でときどきやってきて、追憶にふけるというわけ……聖家族のイミテーションよ。古めかしくて、鼻もちならないわ」
棚のケースからヴァイオリンをだして、
「これも、お遺品《かたみ》のひとつなの……ヴァイオリンなんか、さわる気にもなれないけど、おこらせるために、わざと弾《ひ》いてやるの……見ていらっしゃい。愛一郎、また飛んでくるわ」
そう言うと、弾きだす前のポーズをとりながら、サト子のほうへ振り返った。
「この曲、知っている? エリク・サティ……音楽の伝統と形式をコナゴナにした、偉大なふたりのキチガイのうちのひとり……」
カオルは、はだしで部屋のなかを歩きまわりながら、リズムも音節も無視した無形式の楽句を、ぞっとするようないい音色で弾きだした。
しばらくは、弾くことだけに熱中していたが、そのうちに、気が変ったらしく、勝手に調子をかえたり、楽節を飛ばしたり、おしまいのほうをめちゃめちゃにして、投げるようにヴァイオリンをおくと、うつ伏せにベッドに倒れて、それっきり動かなくなった。
サト子は不安になって、カオルの背に、そっと手を
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