計は、十六時五分前をさしている。いまからなら、九分の上りに間に合う。
座を立とうとしたとき、ティ・ルームの入口から、派手な女の顔がのぞいた。
「あそこに、いる」
参道で見かけるショウバイニンが三人、毒のある目つきで、サト子のほうをジロジロ見てる。
世界市民、一号から三号まで……おそろいのように、アコーディオン・プリーツのスカートをはいている。高級な組らしく、これはひどい、というような変った顔はなかった。
赤いナイロンのハンド・バッグをかかえた、小柄なのを先頭に、ゾロゾロとテラスへ出てくると、
「ごめんなさい」
と、サト子の肩をこづいて、うしろの椅子におさまった。いやなことが、はじまりそうな予感があった。
「あのう……」
案のじょう、背中あわせのテーブルから、声がかかった。
「あたくし?」
特徴のあるショウバイニンの顔が、いっせいにニッコリとサト子に笑いかけた。
疲れたようなところがあるが、どの顔も派手派手して、りっぱにさえ見える。アコーディオン・プリーツのスカートは嫌味《いやみ》だが、服も、靴も、アクセサリーも、みなホンモノで、三流クラス以下のファッション・モデルなどは、足もとにも寄れないほど、かっこうをつけている。
「お話ししたいことが、あるんですけど」
観光季節に、横須賀からやってくる白百合組のショウバイニンを鎌倉の市警は嫌《きら》っている。さっきの若い警官は、鎌倉を職場にしてはこまるというようなことを、この連中に言ったらしい。サト子がその警官と歩いているところを見たので、告げ口をしたのは、こいつだと思いこんでいるのだ。かかりあえば、むずかしいことになるが、逃げられそうもない。
「どういう、ことでしょう」
かわいらしいくらいな顔をした十七八の娘が、あらァと肩でシナをした。
「固っ苦しく、おっしゃられると、こまっちゃう……ご承知でしょうけど、あたしたち横須賀なんです。申しおくれて、ごあいさつもしませんでしたが……」
季節はずれのダスター・コートを着たのが、サト子にウインクをしてみせた。
「お見それして、すみません」
このひとたちは、どうしてこう意地が悪いのだろう。サト子自身も含め、この年代は、男も女も、さまざまな誤解にもとづく、おとなの知らない悩みをもっている。しんみりと話しあえば、わかることなのだが、それは、望んでもむだらしい。せめて、こうでも言ってみるほかはなかった。
「お見それ、ってことはないでしょう。まいにち、おあいしているわ」
ダスター・コートが、冷淡にはねかえした。
「おねえさん、皮肉なことをおっしゃらないで……話ってのは、ショバのことなんです」
泣きだしたりしたら、コナゴナにされてしまう。サト子は平気みたいな顔で言い返してやった。
「あら、そんなことなの?」
「なんて、おっしゃいますけど、あたしたちにしちゃ、死活問題なんです……当節、横須賀では、やっていけないから、鎌倉でショバをとりたいと思うのは、無理でしょうか、おねえさん」
若いのが、横あいから切りつけた。
「ショバ代は、きまりでよろしいんでしょうか。はっきりしていただくほうが、ありがたいんですけど……」
秋川の親子は、池のほうを見ながら、重っくるしい表情でお茶を飲んでいる。とんだ女をお茶に誘ったもんだ……秋川親子は、つくづくと後悔し、けがらわしい思いで悚《すく》みあがっているのだろう。
愛一郎の父が未来の舅《しゅうと》だったり、愛一郎にすこしでもよく思われたいなどと考えているのだったら、この場面は身も世もない辛《つら》いものになったにちがいない……が、そうではないので、まだしも助かる。
サト子は、あわれな微笑をうかべながら、
「おっしゃること、よく、わからないんですけど……だれかと、間違えているんじゃないかしら」
ダスター・コートが、甘ったれるような含み声で、からみついてきた。
「なら、池のそばまで出てくださいません? わかるように、お話ししますわ」
池のそばではじまる光景を想像して、サト子は、ぞっとした。
「けっこうよ。話なら、ここでうかがうわ」
やせすぎの女が、赤い唇をパクパクさせて、脅かしにかかった。
「それじゃ、おためになりませんけど」
愛一郎の父が、なにごともなかったような顔で、サト子にたずねた。
「あなた、まだ陶磁をごらんになる?」
「いいえ、こんどの上りで東京へ帰ります」
「われわれも、間もなく帰りますが、これから扇ヶ谷の家へ遊びにおいでになりませんか。荒れたままになっていますが」
そして、撫でさする目つきで、息子のほうをみた。
「これも、切に希望しているようですから……」
迷惑な話だが、なんとかこの場を糊塗《こと》してやるほか、おさめようがないと考えたらしい。愛一郎の父は、サト子をショウバイニ
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