、
「そうね。そうだったわ……そんなこと、とっても、まずいんです。パパやママに、お前、すこし遅れているよって、よく言われるわ」
そう言いながら、恥じるふうでもなく、おっとりと笑ってみせた。
サト子は、こんな清潔な肌の色も、こんなによく澄んだ目の色も、生れてから、まだいちども見たことがなかったと思い、かねて夢想していた、この世の美しいものにはじめて出会ったような気がし、ひとりでに動悸がはやくなった。
浅間な庭の植木棚のサボテンの鉢が、風に吹きまわされ、いまにも落ちそうに傾《か》しいでいるが、そんなものに眼をやる暇もない。このひとと、何時間も何時間も、こうして話していられたら、どんなに幸福だろうと思いながら、うっとりと暁子の顔をながめていると、暁子は退屈になったのだとみえて、
「どうして、だまっていらっしゃるの。暁子、お話ししちゃ、いけないかしら」
と、つぶやくように言った。
サト子はヘドモドしながら、
「そのお召、あまりいい色目なので、見とれていたんです」
暁子は、お辞儀をするようなコナシで、
「おほめをいただきまして、ありがとうございます……でも、すこし、子供っぽいとお思いにならない? パパもママも、あたくしを、いつまでも子供のままにしておきたいんですって……あたくし、ずいぶん損をしているんですのよ。絵を描いたり、踊りをおどったり、ブラブラ遊んでばかりいるもんだから、いつまでたっても、発達しないの」
ふっと、思いだし笑いをして、
「ほんとうのことを言いましょうか。ほんとうは、お顔を見に来たの……あなた、近々《ちかぢか》、秋川のおじさまと結婚なさるんですって? 愛一郎さんのママになるかた、どんな方かと思って、暁子、拝見にあがったわけ」
秋川と結婚するだろうなどと、どこから聞きこんだかしらないが、あまりいい気持がしない。ひょっとすると、愛一郎が、そんなことを言ったのではないかと思って、それとなく、さぐりをいれてみた。
「その後、愛一郎さんには、お会いしないけど、なにか、あたしのこと、おっしゃっていらしたかしら」
暁子は、身体ごと大きくうなずいて、
「ええ、あなたのお噂ばかりよ……暁子、運が悪かったの。あの日、飯島の家にいたら、愛一郎さんを、クラゲだらけの海で、泳がせるようなことはしなかったでしょう。代れるものなら、暁子、代りたかったわ」
そういうと、急に衰えたようになって、ぐったりと身体を崩しかけた。
サト子はおどろいて、暁子のそばへニジリ寄って、肩へ手をまわして抱いてやった。
「どうなすったの。お冷水《ひや》でもあげましょうか」
暁子は、なんとも言いようのない、あわれな微笑をうかべながら、起きなおって、
「ごめんなさい。病気というわけでもないの。気候のせいでしょう。ときどき、こんなふうに、くらっとすることがあるの……お顔を見られたから、これで本望よ。おいとまするわ」
サト子は、あわてて話題をさがしながら、ひきとめにかかった。
「秋川さん、お元気でしょうか。いちど、お伺いしなくちゃならないんですけど、バタバタして落着かないもんだから、お伺いできずにおりますの……愛一郎さんには、ときどき、お会いになる?」
「あれっきりよ……あたくし、お会いしないことにしましたの。辛いけど、そうきめたの」
ぼんやりと庭の植木棚のほうをながめていたが、思いきったように、膝脇に置いてあった袱紗《ふくさ》の包みをとりあげた。
「暁子、おねがいがあるのよ」
このひとのためなら、どんなことでもと、サト子は、いそいそと膝を乗りだした。
「どんなことでしょう。おっしゃってみて、ちょうだい」
「ご迷惑でしょうけど、これを、袱紗のまま、愛一郎さんに渡していただきたいんです」
と、言いながら、サト子の膝の前に袱紗の包みを押してよこした。
手にとってみると、ずっしりと持ち重りがするだけで、なにがはいっているのか、見当がつかない。
「不躾《ぶしつけ》ですけど、なにがはいっているのか、伺っちゃいけないの?」
サト子が、たずねると、暁子は、頬に血の色をあげて、
「それは手紙……のようなものなの」
と、消えいるような声でこたえた。
恋文か……それにしても、ずいぶん書きためたものだと思いながら、サト子は、同情する気持になって、暁子の顔を見まもっていると、暁子は、だしぬけに、
「それ、返していただくわ」
と叫ぶように言った。とりかえした袱紗包みを胸のところにあてて、しょんぼりとうつむきながら、
「これを、愛一郎さんにおわたしすると、それっきりになってしまうの……それはもう、暁子には、わかっているんですけど……」
すっかり取乱して、サト子になにか訴えかけるのだが、サト子は言うことがないので、口をつぐんでいた。
「これが、あたくしと愛一郎さんを
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