まで世話をしていたことにも、すこしずつ関係があるらしいふうだった。
ひとの知らない片隅で、ひっそりと生きていくことを理想にしている、貧しい平凡な娘をとり巻いて、このひとたちが、なんのために、いきりたったり、腹をたてたりしているのかわからない。
サト子にしても、どういうことなのか、知りたいと思わないわけはないが、このふた月ほどの間、あてもなくブラブラしているうちに、いぜんのような元気がなくなり、どんなことにでも、きっぱりとした決断をくだすことがむずかしくなった。
こうなるには、それだけのわけがある。夏の終りごろ、飯島の近くで、いい気になってチョコチョコしたばかりに、いうにいえぬ苦い経験をなめた。
二十四という、中途半端な年ごろの、娘の心のなかにある意想のすべては、どれもみな情緒たっぷりで、真実からほど遠いところで霞んでいる。ひとりで気負《きお》って、愛一郎という青年を庇いだてするような真似をしたが、現実は、サト子が考えているような、甘いだけのものでなかったことを知って、目がさめたようになった。
人生の端っこをのぞいたばかりなのに、なにもかも知りぬいているみたいに、いい気になって差し出るのは、やめたほうがよろしかろう。ひどくゴタゴタしているようだが、これだって、案外、愚にもつかぬことなのかも知れない。なにもわからないくせに、興奮することも、イライラすることもいらない。カオルや大矢シヅを向うにまわして、ぬきさしのならないところで問い詰めてやるのは、相当、精力のいる仕事なのだろう。ギリギリの最後になったら、それだって恐れはしないが、いまのところは、ものの意味が、ひとりでにわかりだしてくるのを、気長に待っているほうがいい。
サト子が、ぼんやりした顔をしているので、曽根は、おいおい険相な風情になって、
「ねえ、水上さん、だまっていないで、なんとかおっしゃっていただきたいわ」
というと、膝頭で、サト子の膝をグイとニジリつけた。
サト子は、そっと膝をよけながら、
「だから、わかるように、話してくださいと申しあげたでしょう? うかがっていますわ」
「ウィルソンが、一枚一ドルで、香港の宝彩のようなものをつくってきて、水上サト子の何億かの財産を安定させるには、先立って、坂田とかいうひとから、鉱業権を買戻すことになるのだが、ひと口、乗っておけば、一枚について、本国ドルで、一ドル五十セントになって返ってくるというんです……水上さんの話は、シスコあたりの新聞にも、大きく出たそうですし、たかが一ドルのことだし、それに、軍票弗《ピンク》で買うと、五割の利子がついて、本国弗《グリーン》になって返ってくるというところが魅力なんで、大勢のなかには、五年がかりで貯めこんだ更生資金を、そっくりつぎこんだ、なんてのもいるんです」
コートのかくしから、小さく折りたたんだ二ページの邦字新聞をとりだして、
「これは、汎《パン》アメリカン航空のスチュワーデスが持って帰った『シアトル日報』ですが、こんな記事を見ると、やはり不安になって……」
サト子に渡しかけると、カオルは、二人の間に割りこんで、
「そんなものを、ひけらかしたって、どうにもなりはしなくってよ」
と言いながら、曽根の手にある新聞を、払うようにおしかえした。
「曽根さん、あなた、なにか見当ちがいしているようだけど、こんどのことについては、サト子さんは、なにも知らない……というより、まるっきり、なにも知らされていないんだから、そんなものを見せたって、途方に暮れるだけのことだわ」
曽根は手に新聞を持ったまま、怒りをひそめた白っぽい顔になって、
「あたしなどは、どうせ、学も知恵もない女だから、こんな考えかたをするんでしょうが、この問題のご当人は、ヤマさん、あなたじゃなくて、そこにいらっしゃる水上さんだと思うんだけど」
カオルは、首をかしげて、
「わからない……あなたのおっしゃりたいのは、どういうことなの?」
「気にさわったら、おわびしますが、正直なところ、あなたからお話を伺っても、しようがないように思うんです」
カオルは豹の皮の手套《マフ》のポケットからシガーレット・ケースをだして、煙草に火をつけながら、
「あたしの言いかたが、足りなかったのかしら。こんな赤ん坊みたいなひとに、むずかしいことを言いかけてみたって、あなたがたの気のすむような返事はできなかろうということを、言ったつもりなんだけど」
曽根は、張りあうように煙草に火をつけ、しっかりと腰をすえたかまえになって、
「あたしどもには、そのへんのところが、よくわかりかねるんですがねえ……何億という財産が、どうにかなるというのに、ご当人が、ぜんぜん知らないというのは、どういうことなんでしょう? 講談なんかに、ありますわね。お家騒動とか、お家乗っ取
前へ
次へ
全70ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング