は思っていなかったの……うれしい……あたし、もう、ひとりじゃないんだわ」
そのとき、聖路加病院の十時の時鐘が鳴った。シヅは、はっとしたように胸に手をあてた。
「あんたも、忙しくなるわね。ともかく、ご飯をすましちまいましょうよ」
そういうと、ひどくあわてて、ソソクサと飯をかっこみだした。サト子も茶碗をとりあげながら、
「はやく仕事をみつけて、せめて、お祖父さんの落着くところぐらい、こしらえておかなくちゃ……八日というと、あと一週間しかないから」
シヅは、箸の先に飯粒をためたまま、サト子の顔色をうかがうようにしながら、
「職安で仕事を捜す前に、もういちど、モデル・クラブの事務所へ行ってみたら?」
「でもねえ、モデルの仕事、気が重いのよ」
「それは、昨日も聞いたけどさ、あんたが考えているより、もっといい仕事がありそうな気がする。あたし、保証するわ」
そう言うと、下目になって、
「白状するけど、あんたを紹介してくれって、ビニロンのボスに、たのまれていたんだ」
と、哀願するような調子でつぶやいた。
「そうね、昨日までは、勝手なことを言っていたけど、もう、ひとりじゃないんだから、我儘なんて言っていられない……じゃ、これから、行ってみるわ」
シヅは時計を見ると、椅子から飛びあがって、食器をバタバタと流しへ運びはじめた。
「おシヅちゃん、なんなの?」
「これから、ちょっとゴタゴタするのよ。茶碗ひとつ、おっ欠かれたって、損だからね」
そういう間も手を休めず、サッサと部屋のなかを片付けると、テーブルや椅子を壁ぎわに積みあげた。サト子の掛けている椅子だけが、島のように一つ残った。
「だから、どうしたというのよ」
「あたしがファッション・モデルになったことが、嫉《や》けて嫉けて、しようがないもんだから、横須賀のむかしの仲間が、大勢でインネンをつけにくるんだ」
「なにになったって、あのひとたちに、関係のないことじゃありませんか」
「あいつらの世界に、そんな理窟、通らないのよ。無断で組を抜けたことを口実にして、仁義だのなんだのって脅かして、むかしのショウバイにひきもどそうというの」
サト子は、立ちかけていた椅子に腰をおろした。
「くだらない。そんなひとたち、相手にすること、ないわ」
シヅは衣装戸棚の前で、さっと服を脱ぐと、丸首シャツとスラックスの勇ましい姿になって、サト子のそばへ戻ってきた。
「立ちなよ。椅子、片付けるんだからさ」
「ここはダンナサマの席だといったでしょ。あたし動かないわ」
「あんたにまでゴテられちゃ、困るわ」
「わからないって、きめてかかっているけど、話にも、話しかたにも、よるでしょう? あたし、会って話してみるわ」
シヅは殺気だった喧嘩のかまえになって、部屋のなかを歩きまわりながら、カスレたような声でつぶやいた。
「話では、すまないことなんだよ……あいつらが集めていた赤札(軍票ドル)を、青札(本国ドル)と換えてやったら、それがガン札だなんて、ムチャな言いがかりをつけるんだから……」
正面玄関《フロント》の扉があくたびに鳴るブザーが、ほのかな音をつたえた。シヅは窓のほうへ行って、小田原町につづく通りを見おろしながら、
「神奈川県の自動車が、二台、いる……塀の前と、むこうの河岸っぷちに……八人は、いるな。骨が折れるよ……サト子さん、早く出て行って……あんたなんかにマゴマゴされると、負けちゃうじゃないのさ」
そんなことをいっているうちに、もう、廊下に靴音がきこえた。
「おシヅちゃん、来たわ」
ドアの前で、靴音がとまった。なかのけはいを聞きすましているふうだったが、そのうちに、ドスドスと乱暴にドアを蹴りつけた。シヅは、そっと戸口のほうへ行って、頃合《ころあい》をはかりながら、だしぬけにドアをあけた。
なりわいの渋味も辛味も味わいつくした、ひと目でショウバイニンと知れる、若いような老けたような女が二人、不意をくって部屋のなかへよろけこんでくると、たがいの様子がおかしいというので、男のような声でゲラゲラ笑った。
どちらも、裾まである赤鉛筆色《レッド・レッド》のコートを着ている。それを脱げば、下は喧嘩の身支度になっていることは、胸あきからトックリ・スェーターの衿が見えているのでもわかる。いい加減に笑って、笑いおさめると、目のキョロリとした、ムジナのおばあさんのような顔をした女が、
「なにさ、ひとの鼻先で、いきなりドアをあけたりして……むかしの仲間だ。もうすこし、やさしく扱ってくれよ」
もうひとりの、ずんぐりむっくりの猪首《いくび》の女は、戸口に立ちはだかって、部屋のなかを見まわしながら、
「ここは、いぜん、おれの巣だった部屋だぜ。やはり、器用に足は洗えないもんだとみえるな……モデルは看板で、ジャッキーをくわえこむのが
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