もらいましょう」
 芳夫は、自尊心を傷つけられた子供のように、えらい金切声でやりかえした。
「詩ではありません。告発の理由といったようなものです……その後、水上氏は落魄《らくはく》し、ひどい恰好で日本へ帰ってきて、恵那の奥の郷里に落着いた……ところで、そのへんの谷のようすは、水上氏の目には、アメリカで見たウラニウムの出る谷々の形相と、あまりにもよく似ている。ガイガー計数管を持ちだして、あたってみたら、すごい反応があった……というんです」
「君は、むずかしいことを、簡単にかたづけてしまう……たいした頭だよ」
「いや、手紙の受け売りです……苗木の鉱山は、三井のあとを受けて、磁気工業が砂鉄を掘っていたが、モノにならないので、ほうりだしてしまった……アメリカでは、ウラニウム・ラッシュで、えらいさわぎをしていたが、日本では、そんなことは知らない。水上氏は、六千五百万坪、七十鉱区の鉱業権を、ただみたいな安い金で取得して、川床の砂をアメリカへ持って帰って、原子力委員会へ送ってしらべてもらったら、確度十分で、売る気があるなら、七十鉱区を、一鉱区五万ドル、三百五十万ドル、十二億六千万円で買ってもいいという話になった……そうですね?」
「その通り」
「昨年の春、水上氏は、あなたと二人で氷川丸で日本へ帰ることになったが、出帆の前夜、うれしまぎれに、シアトルの宿で、酒を飲んで踊ったりしたので、心臓衰弱で倒れた……水上氏には、前から弁膜に故障があって、自分の身体のことはよく知っている。証人を二人たてて、将来、水上サト子に再譲渡するという条件つきで、鉱業権を有償であなたに譲渡した……それが、たった一ドルだというから、バカげているじゃないですか」
「一ドルだって高価《たか》い……水上氏の臨終の依頼だから、ひきうけたようなものの、正直なところ、あんなものには、一セントだって、払う気はなかった……当時の私にとって、一ドルは、血の出るような金だったから」
 芳夫の手にあいそうもないので、由良がひきとって、搦手《からめて》から仕掛けにかかった。
「この間、伺うのを忘れましたが、父の遺骸《いがい》は、どうなっているんでしょう?」
「シアトルの、日本墓地へ埋葬しました」
「お骨にして、持って帰ってくださる親切は、なかったのね?」
「水上氏は、アメリカの土になることを望んでいられました」
「サト子はお祖父《じい》ちゃん子なので、ショックを受けると困るから、死んだことは、まだ話さずにありますが、そんなことを聞いたら、さぞ嘆くこってしょう。因果な話ですわ。そうまで嫌われるというのは」
「水上氏は、お孫さんを愛していられました……嫌っていたのは、ほかの方だったようです」
「それは、あたしなのね? だから、あたしには遺産を残さなかった……これくらい簡単明瞭な話も、ないもんだわ」
 問題の核心を、由良はそんなふうにヤンワリと突いた。なるほど、こういう触《さわ》り方もあるものだと、芳夫が由良の横顔をながめているうちに、由良は、つづけた。
「父は、私に遺産を残したくないのだが、日本の遺産法では、どうしたって私の手に入るようになっているから、そんなヤヤコシイ方法で、あなたがサト子の代襲相続をなすった……」
 坂田が、けげんな顔でたずねかえした。
「ダイシュウ……とは、なんのことです」
 芳夫は、説き聞かせるの調子で、
「あなたが、サト子さんの代理になって、水上氏の遺産を相続したことをいうのです」
 底のはいった渋い声で、坂田は、キッパリとはねつけた。
「手紙に、どうあろうと、相続なんかしたんじゃない、買ったのだ。なにを考えていらっしゃるのか知らないが、十三億の遺産なんか、現実には、存在しないものなんです」
「アメリカの原子力委員会で、確度十分と折紙をつけたと聞いていますが」
 ボーイが、食事を出してもいいかと聞きにきて、ついでに、卓上灯のスイッチをひねった。その光で、磨《すり》ガラスの花瓶のなかに仕込んだスタンド付きの小さなマイクが、シルエットになってクッキリと浮きあがった。
「確度は十分さ。そうあったらという、仮定においてね……ところでウラニウムというやつは……」
 そこまで言いかけたとき、坂田は花瓶のマイクのシルエットに気がついて、口をつぐんだ。
 卓上灯のそれと見せかけてあるコードのゆくえを、目でたどっていたが、椅子から立つと、坂田は容赦のない顔になって、脇卓のテーブル・クロースをひきめくった。
「テープ・レコーダーか……」
 皮肉な微笑をうかべながら、レコーダーと二人の顔を見くらべてから、ツイと手をのばして、スイッチをあけた。
 由良と芳夫の会話のつづきが、ショパンの『雨だれ』のメロディに乗って、無類のあざやかさで流れだしてきた。
(おやじは、何十回となく、くりかえして聞く……
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