と言っていた。サト子は思いついて、その話をしてみた。
「久慈さんってお宅に、きれいなお嬢さまがいらっしゃるのよ。ごぞんじ?」
「そう、きれいな方がいられたようだ」
「あたしの想像だけど、愛一郎、なぜ、あの家へはいりこんだのか、わかるみたいね」
中村は考えてから、同意するようにうなずいた。
「ひょっとすると、そういうことだったのかもしれない。それにしては、思いきったことをやるもんだ。このごろの若い連中の性情は、われわれには、わからなくなりかけているらしい」
「かりに、そうだとすると、警察へ行って、愛していたの、好きだったのと、そんな話まで、しなくてはならないんですの」
「なんであろうと、隠すのはためにならない……正午までは、支局の連中や通信員がウロウロしていますから、一時から二時くらいまでの間に、捜査主任のところへ……」
玄関の横手の車庫から、愛一郎と山岸カオルの乗った車が走りだし、飛ぶように前の坂道を下って行った。
中村は、じっと車のあとを見送ってから、
「逃がしたんじゃ、ないだろうね」
と、強い目つきで、サト子のほうへ振り返った。
「どうか、そんなことにならないように……むずかしくなるよ」
サト子は腹をたてて、やりかえした。
「それほど、バカではないつもりよ」
「愛一郎のとなりにいた女性は、新兵器の売込みをしたり、日本のウラニウム鉱山の調査をしたりしている、パーマーというドイツ人の秘書だが、あなた、ご昵懇《じっこん》なんですか」
ウラニウムの話が出たのは、きょう、これで二度目だ。サト子は、ぼんやりと、こたえた。
「知っているけど、昵懇というほどでもないの」
「今夜は、あなたの言うことを、信用しておきましょう」
中村は、おやすみと挨拶して、いま、車がうねり下ったばかりの道を、ひとりでポクポク降りて行った。
暗い谷間
西側へ、翼のように張りだしたところに、客間の明るい灯が見える。午後、カオルとふたりではいりこんだ、亡くなった秋川夫人の部屋の窓々が、斜め上のあたりに、薄月の光をうけて、ほの白く光っている。
中村との話合いは、思いのほか軽くすんだが、秋川の待っている客間へ、すぐ戻って行く気にはなれなかった。
貧乏の鋭いキッサキと、毎日、火花を散らして、わたりあって行かなければならない、切羽詰った目で見ると、秋川の生活は、のどかすぎて間がぬけてい
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