ンといった、心配のない堅苦しいタイプだと思っていたが、あらためて見なおすと、目もとにシットリとうるみがつき、頬のあたりが赤らんで、意外になまめいた顔になっていた。
「おやおや、こんなことだったのか」
 愛一郎を夕食からはずしたのも、カオルを仲間に入れなかったのも、はじめから仕組んだことらしい。底の浅いたくらみが見えるようで、面白くなかったが、どんなひとでも、ひとつくらいは後暗《うしろぐら》い思いを、心のなかにもっている。死んだひとの追憶にひたりこんでいるというのは、嘘ではないのだろうが、若い娘を相手にしていると、つい、こんなことも言ってみたくなるのらしい。喫茶室のテラスで、横須賀のショウバイニンたちとやりあった情けない現場を、秋川は見ている。行きずりに家へ誘って、否応なくついてくるような女なら、なにを言いかけたって恥をかくことはないのだ。
「暖炉のなかで、コオロギが鳴いていますね。このへんは、ほんとうに静かですこと。まるで、夜ふけみたい……あたくし、そろそろ、おいとましなくては……荻窪へ着くと、十時ちかくになりますから」
 秋川は、コォフィをすすりながら、
「お帰りになるというのを、おひきとめするわけにはいかないが、よかったら、お泊まりください。そのつもりで、支度させてありますから……じつは、愛一郎のことなのですが、私は、イキな父親になりたいとも思わないが、子供がなにをしているのか知らないような、おろかな父親にもなりたくない」
 そう言うと、なんともつかぬ微笑をしてみせた。美術館で、遠くから愛一郎のほうを、じっと見ていた、憂いにみちたあのときの顔だった。
「愛一郎は、臆病なくらい内気で、物事に熱中したりしないやつでしたが、このごろ、たれの手紙を待っているのか、毎朝、門に出て、郵便受の前で張番をするようなことまでします」
 美術館のティ・ルームでお茶を飲んでいるときに、もう、このキザシは見えていた。愛一郎の父は、サト子が愛一郎の愛人だと思いこみ、あくまでも調停の役をつとめようというのらしい。
「よく眠れないようだし、日ましに痩《や》せて行くのが見える……なにか、はじまっているのだろうとは、察していましたが、きょう、美術館で、あれのすることを見て、はじめて得心がいったわけです」
 サト子は、言うことがなくなって、だまってコォフィを飲んでいた。
「一週間ほど前、愛一郎は、
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