窮して、心にもないお愛想を言った。
「ここのお宅、気にいってるみたいね。お住いになっているの?」
「こんな空家《あきや》、気にいるもいらないも、ないじゃないの……でも、人間に疲れて、ひとりになりたくなると、朝でも夜中でも、東京から車をとばしてきて、この家へ入りこんで、はだしで谷戸《やと》を歩きまわったり、罐詰をひっぱりだして食べたり、二三日、ケダモノのようになって暮すことがあるわ」
 手枕をして、長椅子にあおのけに寝ると、マジマジと天井を見あげながら、トゲのある調子で、
「あなたの人気、たいへんよ……芳夫のお嫁さんに来てもらうつもりで、おやじとおふくろが、いろいろと画策しているわ……でも、問題にもなにも、なりはしないわねえ。芳夫みたいなやつ、あなた、なんだとも、思っちゃいないんでしょ?」
 救われた思いで、サト子は、うなずいた。
「じつのところは、そうなの……東京へ帰ったら、すぐお伺いするように、叔母に言われているんですけど……」
「来ることなんか、ないわ。よかったら、あたしが、言ってあげましょうか」
「それじゃ、失礼よ……あたしの役だから、じぶんでやってみるわ」
「あなたって、おしとやかね……秋川、あなたのようなタイプ、好きなのかもしれない……そう言えば、死んだ細君に、どこか似たようなところがあるわ」
 だしぬけに、起きあがると、
「むこうの部屋に、死んだ細君の写真あるわ。見せてあげましょうか」
 と甲走《かんばし》った声で言った。
 カオルが言っているのは、勝手にはいりこんだと言って、愛一郎が腹をたてていたその部屋らしかった。
「そんなもの、見せていただかなくとも、結構よ」
「まァ、見ておくものよ。秋川の親子、どうかしてるってことが、わかるから」
 サト子を客間から連れだすと、とっつきの階段を、先に立ってあがって行く。庭でも歩きまわったあとらしく、うすよごれたはだしの足の裏に、草の葉が、こびりついていた。
 片側窓の二階の廊下の端まで行くと、カオルはそこの部屋のドアをあけた。
 三方が窓で、勾配《こうばい》のついた天井を結晶ガラスで葺《ふ》き、レモン色のカーテンが、自在に動くような仕掛けになっている。
 壁ぎわのベッドの背板に、いま脱いだばかりというように、薄いピンクの部屋着を掛け、床《ゆか》の上に、フェルトのスリッパが一足、キチンとそろえて置いてあった。
 窓
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