考えなかったでしょう」
「いろいろなひとが、なにかいうけど、どういうことなのか、よくわからないのよ」
「あなたが神月に会った日、秋川と愛一郎がその席にいて、うまいところへ話がいきかけたので、神月がパーマーのほうをキッパリと断ったら、間もなく、愛一郎が急に強くなって、その話をこわしてしまったふうなの……それだけが、自殺の原因だとも思わないけど、なぜ愛一郎が急に強くなったのか、なにか心当りはない?」
愛一郎に届けてくれと言って、久慈の娘が袱紗包みの手紙の束を持ってきたことを話すと、カオルは考えてから、
「それが秋川の夫人さんの古い恋文だったんだわ……愛一郎も神月も捜しだせなかったものを、久慈の娘が捜しだしたというわけなのね」
「あたし、たいへんなことをしてしまった」
「あなたがどうしたというようなことじゃないわ、天命なのよ……でも、もういちど浮びあがらせてやりたかった。あたしもいっしょにブラジルへ行くはずだったのよ、もう日本へ帰って来ないつもりで……ごめんなさい、長い電話になったわ……あす有江というひとが横浜に着くんですってね? 神月は死んだし、芳夫は横浜税関の監視部で調べられているし、これで二人ツブレたわけね。こうなれば山岸だってひっこむでしょうし、あとは、飯島の叔母さまと坂田だけ……秋川と中村が後押しをしているから、絶対にあなたの勝利よ」
翼屋へ帰ると、中村と警視庁の防犯課の係官というのが、サト子を待っていた。
いつものおだやかな中村ではなくて、ひどく冷淡にかまえていた。サト子は雲から足を踏みはずしかけているあぶなっかしさを感じながら、おずおずと中村に言いかけてみた。
「ご縁があるとみえて、よく係合いになるわね」
中村は返事もしなかった。大学の助教授といったタイプの係官が、床の上に置いた飛行鞄《エア・バッグ》のほうを顎でしゃくった。
「この中から、なにか、お出しになりましたか?」
「さわったこともないわ」
係官はジッパーに封印をすると、それを無造作にテーブルの上に投げだした。
「香港《ホンコン》で流している偽《にせ》ドルです。こんなものを使ったら、飛んだことになるところでした」
そういうと、ポケットから写真をだしてサト子に見せた。
いくつも丸卓を置いた豪奢《ごうしゃ》なホールの前景に、タキシードを着た坂田省吾が、神月と二人の外国人の間にはさまって、シャ
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