るわね。あきれちゃう」
「酒なんか、いくら飲んだって平気さ……そんなことより、あんた、気がつかない? 部屋のなか、変ったでしょ」
 なるほど、部屋のようすが変っている。化粧机のあったところに食器棚をすえ、壁の靴摺《くつずれ》の三叉《みつまた》のソケットから電気コンロを二つとってご飯蒸と味噌汁の鍋をかけ、食事の間に台所へ立たなくとも、居なりで用が足りるようにしてある。
「びっくりさせてやろうと思って、早く起きて、コッソリやっちゃった……これから寒くなるから、このほうが便利よ、ねッ」
「そりゃ、このほうが便利よ……でもね、おシヅちゃん、あたし、きょう、ここを出るわ。いつまでも、あなたのお世話になっているわけにはいかないから」
「出て、どこへ行く?」
「べつに、あてはないけど」
 シヅは、いやだアと叫ぶと、椅子から立って、ガムシャラにサト子に抱きついてきた。
 サト子は椅子といっしょに横倒しになりかけ、やっとのことで踏みこたえた。
「そんなに、あばれないで……ねえ、どうしたの」
 シヅは両腕でサト子の首を抱いて、胸に顔をうずめ、
「あたし、おこってる」
 と霞んだような声でつぶやいた。
「あんた、あたしなんかといっしょにいるの、ケガラワシイと思っているのね」
 サト子は、シヅの肩に手をまわして抱きかえしながら、
「それは邪推よ……あなたが、あんまり気をつかうので、居づらくなったの。こんなに迷惑をかけるのは、イワレのないことだし、それに……」
 シヅは、サト子の胸から顔をはなすと、大きな目で額ごしにサト子の顔を見あげた。
「イワレはあるのよ……あたしが飯島の澗で泳いでいたころ、神月の別荘へ来る女たちや、山岸のカオルなんて、ちくしょう、あたしがそばへ行くと、臭い臭いっていやがった……お別荘組のなかで、あたしと遊んでくれたのは、サト子さんだけだったわ……あなたは、なんだとも思いはしなかったのでしょうけど、飯島の蟹糞《かにくそ》には、あんたは、死ぬまで忘れられない、なつかしいひとだったのよ」
 シヅは、サト子の膝からおりると、おとなしく椅子に戻りながら、
「ファッション・モデルなんて、苦労も面白味もない、ツマラナイ仕事だけど、帰れば、あんたがいてくれると思うと、ひとりでにハゲミがでるの。あんたの世話をしたり、かばってあげられると思うと、うれしくて、ポーッとしちゃう……あんたは、こ
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