が大切であるのは申すまでもないが、殊に同文同調の国風として進むために、意義深い仏教研究に資する事業を助勢するということは、時代に最も適した施設と考えるのであります。
 西洋の人が日本の大乗仏教を重んずるとシナの方面にもよほど影響がある。西洋の学者の日本に対する態度を見て初めてシナ学者はわれわれと対坐して研究の態度で交際するのでありますが、そうでないと日本を教え子の如くに考える習慣がなかなか取れないのであります。全体で漢文の研究はシナ人に一歩譲るような感じがしますが、仏教の教義問題では一日の長を誇ることが出来るのである。それには仏教を正式に研究した人でなければ分らないのであります。要するに、仏教の研究に関しては第一原本が梵文と巴利文である。この両語を知ることは仏教研究の第一要件である。第二原本が西蔵文である、西蔵一切経は唐代から元代までの飜訳で、殊に句々梵文の影を留めているのであるから、梵文の原型を知るに最も必要である。厳密なる研究には必須の研究である。仏教研究の第三原本が漢文一切経である。今では仏教研究者で漢文に指を染めぬものは余儀なく後塵を拝する外はないのである。而してこの漢文仏教を
前へ 次へ
全72ページ中70ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高楠 順次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング