丸の子は弘法大師の弟子となり高野山の開創に尽力したことがある、そういうふうに海賊にも掠められ、暴風にもやられるし、船の方は案外故障が多い、盛衰があります。けれども永い間には同様勢力を及ぼしまして、終に東洋はことごとくインドの文化の勢力範囲になってしまったというふうであります。一番関係のありますのは南の海の方の道でありますからこれを今少し説明して見ようと思います。これが日本に一番関係があるのであります。
三
だいたい六世紀頃にインドから非常な文化種族が移住して来たのでありますが、インドにそういう人種がおったかおらぬか分らない、ただ植民地の出先で非常な勢力を持ってこれが到る所に「ビヂャヤエンパイヤ」と名づける帝国を形作っているのであります。インドの本国ではどこにおったかまだよく分らないのであるが、出た所はコロマンデールの海浜から(マドラスの近傍)から出て来て、そしてセイロンは無論その勢力範囲で全く征服されたのであります。それからジャバに行ったのであるが、そのジャバを「カリンガ」(訶陵)と号しておりますからインドの南海岸から出たものに相違ないのであります。そのカリンガ
前へ
次へ
全72ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高楠 順次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング