経を出版され世界の学界に提供した。後にまた註釈全部を出版して世に弘めた。ビルマでは有志が出版し、セイロンでも有志が出版して普及を計っている。
 古代の出版から近時の出版まで合せますと三十の一切経があります。でこれは古い写本、版本みな大切でありますが、近時学者の手に成った校本も研究には欠くべからざるものであります。それをみな集めようというのがわれわれの野心であったのであります。その中で図書館に入っていたのは焼けましたのが多いのであるが、他に本願寺にもあるし、東北大学にもある。とにかく日本には三十の一切経がことごとく存在しております。これはわれわれの誇りとすべき事柄であると私は考えます。インドで出来た一切経もインドの本国にはありませぬ。シナで翻訳され刊行された一切経もシナには残っていない。日本まで文化が押し寄せてきて、それからは決口《はけぐち》がないから日本には全く留ったという訳であります。それから日本の古寺院に、非常に面白い図書が残っておりますが、その残っているものの中に近頃中央アジアの発掘によって知られたものは日本に存在していることが分った。日本はこれがために重きを為すことになったのである。
 これも序にお話したいと思いますが、中央アジアの発掘ということは世界に動搖を与えた学術上の大事件であります。日本は東方に偏在しているのでそんなことには関係ないであろうというように考えられるかも知れぬが、シナで無くなったもの、シナ四百余州に見つからぬものが日本にあり、中央アジアで発掘された出土品と日本にある保存物とを比較すると同一物である。それでシナ本国になくて日本に残っている古書は、西洋人は或いは偽作だといっておったものもあります。今度中央アジアから掘り出されて来ると日本のものと同じで偽作でなく真物であるということが分った。その二、三の例を申し上げますと、梵本というのは古いものは棕櫚の葉に書いた物である。これを貝葉《ばいよう》梵本と申します。それが日本には非常に古い物があります。今のインド人は日々用いつつある梵字は知っているが昔の梵字は知らない。然るに発掘品から見ると昔の梵字は日本に伝わるものと同一である。日本の梵字の形を見ますと中には四、五世紀頃のもある、推古時代奈良朝以前のインドのものが日本に将来されているのであります。それを一々調査しまして写真に撮っております。
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