に伝えているのであります。それは一音々々を順に読み習い、またそれを逆に読み習い、また第一字から第三字、第五字から第七字というように文字を飛んで習い、それから第二字と第四字、第六字と第八字というように読み、それを合せて覚えるというふうに、記憶の方法は至れり尽せりで、練習に練習を重ねて覚えているのであるから忘れるだろうというようなご心配は要らない。しかしかかる大変なものを頭の中に詰め込んでおこうとする努力は非常にインド人には強いのでありますが、一方それがためにインドの文明は停滞するようになってきたのである。シナでは文字を覚えなければならぬ、それがために俊才は文字を覚えまたこれを使うのに非常に頭を労するので文明が自然停滞するようになったという学者もあるのでありますが、かかる努力の偏重はよほど文化に関係することであろうと思います。
 とにかく仏教の方は四百年しか覚えることが出来なかったが、バラモン教の方は今に至る四千年間覚えているのであります。バラモンはこれを本職としているのであります。そういうことを専門にしているのがバラモン族であるが、仏教はそうでなく、昨日まで百姓をしておった者も、バラモン族も、王族も、男も女も皆入るのでありますから覚えておれといってもなかなか困難である、そこで紀元前八年頃に一切経を文字に書き残しました。それから以後その通りを守っているのが是が小乗の一切経であります。セイロン、ビルマ、シャム、カンボジャの一切経も同じことであります。同じ一切経を死守しております。それより他のものは一切入れない、その時に決めた通りを今に守っております。これがインドの小乗一切経である。
 所が大乗という方はそんなことをしない。一所に集成してこれが大乗の一切経でございというようなことはいわない。それでありますからどんな形であったか分らない。全部で幾らあったかも分らない。それでインドで出来た小乗一切経はシナに一冊も来ないといってよい。たくさんきておることはきておりますが、向うで一切経だといっているものは一冊もきておりませぬ。たった一冊「善見律」というのを訳したのがありましたのを私が発見した。二冊目を探そうとしても見出せない。そのくらい一切経を一遍にシナに持ってきたということはない。インドからシナに来る人が持って来る。また玄奘三蔵とか法顕三蔵というような人がインドに旅行して持って帰
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