れでご承知の五十音の図でありますが、あの図は梵語の字音の並べ方の通りであります。あれは吉備真備が作ったというようなことを伝えているのでありますが、そうではなくて、この二人が教えておった梵語の表が自然に日本の言葉に移ってそうして五十音図表が出来たのだと思うのであります。而してまたかかる人が奈良におったのでありますから言葉も多少輸入され、日本の国語も影響を受けずにはおらない。今はちょうど二月で如月でありますが、木更衣とも書きます。木が衣物を着換えるというような意味で、木の芽立ちのことをいったのかも知れない。「キサライ」というのは梵語でそのまま「木の芽立ち」という語であります。これは月の名ではないが、この言葉が移ったのだと思います。ここに現に梵語を教えつつある人があり、また伏見の翁もインド人らしいのでありますから、教えて貰う人はどうしてもその勢力を受ける。かように日本語の中に梵語が入っているのは、ただ仏教と一緒に来たのではなく直接受取ったということが分るのであります。
 御経の中に見当らない言葉がたくさんある。例えば瓦というものはこれは梵語の「カパラ」である。これは御経の中を見ても出て来るものではない、その時まで草葺であったのが瓦葺が出来るようになった、これはインドでなんというか、それは「カパラ」であると教えられる。それから瓦という日本語が出来てきた。私共が小学校に行っていた明治八年頃に、掛図がありまして、掛図の一番初めの図に「瓦」がありました。なぜ「カハラ」と書かなければならぬかというと、それはカハラだからカハラと書かなければならぬ、こういう仮名遣いだから仕方がないというふうに教えられたのであります。が、それは元がカパラであったからそれが柔らかくなっても、カハラと書いて根本のパの音を残している。
 日本のハヒフヘホの音は元はP音であった証拠には、北の方で大平山を今でも「おうぴらやま」といっているので分る。また琉球では「大きに」というのを「オホキニ」と言っている。また大きな瓦を「イラカ」(甍)と申しますがこれも梵語であります。日常用いる物から眼に付くような物はたいてい梵語でいう。それからまた隠し言葉にもある。学林の中であらわにいうと気の毒なことがある。例えば酒のことを般若湯といって見たり、甘露水といって見たり香水といったりするのはみな隠し言葉である。一例を申しますと鼻のな
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