義なり。以上の注釋の義、北方所傳は發智論第二十に出づ、少しく異あり。
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二九六 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等は晝も夜も常に佛を念ず。

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瞿曇―釋巧の姓なり。
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二九七 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等は晝も夜も常に法を念ず。
二九八 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等は晝も夜も常に僧を念ず。
二九九 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等は晝も夜も常に身を念ず。
三〇〇 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等の意は晝も夜も不害を樂ふ。
三〇一 瞿曇の弟子は恆に善く醒めて覺る、彼等の意は晝も夜も心の安定を樂ふ。
三〇二 出家すること難し、(出家の行を)樂ふこと難し、家は住すること難くして苦なり、同輩と共に住すること苦なり、人老ゆれば苦に隨はる、故に人は老いざるを希へ、亦苦に隨はれざるを希へ。
三〇三 信あり、戒を具へ、譽と財とを具ふれば到る處として供養せられざることなし。
三〇四 善人は雪山《ひまらや》の如く遠處にても顯はる、不善人は近くに在りても見られず、夜に放てる箭の如し。
三〇五 獨り一坐一臥を行じて倦まず、獨り己を調へ、林の中に(在る如く寂靜を)樂むべし。
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    第二十二 地獄の部

三〇六 不實を語るものは地獄に墮す、或は(自ら惡を)作して我作さずと言ふものも(地獄に墮す)、此兩人は死して後等しく他世に於て賤業の人となる。

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死して後―地獄にて命終して後のことならん。
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三〇七 肩に袈裟を纏ふものの多くは惡を行ひ節制なし、(斯かる)惡人は惡業に因りて地獄に墮す。
三〇八 破戒無節制にして國民の施物を受用せんよりは寧ろ火焔の如く灼熱せる鐵丸を食ふべし。
三〇九 放逸にして他人の婦を犯す人は四事に逢ふ、善からざる名の揚ること、臥して不快なること、第三には毀呰と、第四には地獄なり。
三一〇 彼はよからざる名を得、又惡趣に墮す、而して(自ら)畏れて畏れたる(婦人)と樂むは寡《すく》なく、又王は重刑を科す、故に人は他人の婦に狎れ親む可らず。
三一一 譬へば茅草を執るに(其の方)惡しければ手を傷つくが如く、勤苦も惡用せられなば人を地獄に引き入る。
三一二 作業怠慢に、所守雜染に、梵行嫌疑あるは(何れも)大果を得ず。

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