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健闥婆は鬼神の一種。
魔羅又は惡魔と云ふ。
梵は造物主神なり。
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一〇六 一人は月々千囘祠り、百歳を經、一人は一須臾たりとも修養せる人を供養せんに、其の供養は百歳の祠に勝る。
一〇七 人あり、百歳の間、林の中にて阿祁尼に奉事し、一人は一須臾たりとも修養せる人を供養せんに、其の供養は百歳の祠に勝る。

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阿祁尼―火神。
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一〇八 世の中に、或は犧牲を供へ、或は火に供物を投じて福を求めて一年を通じて供養し、其全部を擧げても四分の一にも値ひせず、直者を禮敬するに如かず。

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火に供物を投ずる―烟となりて天上に昇り神邊に達せしむるの意にて即ち神に供養する式。
四分の一にも値ひせず―效果極めて少し。
直者阿羅漢。
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一〇九 能く禮敬を守り、常に長老を尊ぶものには四事増長す、壽と美と樂と力と。
一一〇 若し人壽百歳なるも惡戒散動なれば、一日生きて具戒靜慮するに若かず。
一一一 若し人壽百歳なるも惡慧散動なれば、一日生きて具慧靜慮するに若かず。
一一二 若し人壽百歳なるも懈怠怯弱なれば、一日生きて勇猛努力堅固なるに若かず。
一一三 若し人壽百歳なるも生と滅とを見ざれば、一日生きて生滅を見るに若かず。
一一四 若し人壽百歳なるも甘露處を見ずんば、一日生きて甘露處を見るに如かず。

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甘露處―不死處とも言ひて涅槃を指す。
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一一五 若し人壽百歳なるも最上法を見ずんば、一日生きて最上法を見るに若かず。
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    第九 惡行の部

一一六 善に急げ、惡に對して心を護れ、福を造りて怠り鈍れば、意は惡行を欣こぶ。
一一七 人若し惡を作すも此を再三する勿れ、惡を樂ふ勿れ、惡の積集は苦なり。
一一八 人若し福を作せば此を再三すべし、福を樂へ、福の積集は樂なり。
一一九 惡果未だ熟せざる間は惡人も尚ほ幸に遭ふ、惡果の熟する時に至れば(惡人は)惡に遭ふ。
一二〇 善果未だ熟せざる間は善人も尚ほ惡に遭ふ、善果の熟する時に至れば(善人は)善に遭ふ。
一二一 彼れ我に報い來らざるべしと想ひて惡を輕んずる勿れ、水の點滴能く水瓶を盈たす、(惡は)少しづつ積むと雖も愚者は惡にて盈つ。
一二二 彼れ我に報い
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