せう》しながら行《い》つたり、知人《しりびと》に遇《あ》ひでもすると、青《あを》くなり、赤《あか》くなりして、那麼《あんな》弱者共《よわいものども》を殺《ころ》すなどと、是程《これほど》憎《にく》むべき罪惡《ざいあく》は無《な》いなど、云《い》つてゐる。が、其《そ》れも此《こ》れも直《ぢき》に彼《かれ》を疲勞《つか》らして了《しま》ふ。彼《かれ》は乃《そこで》ふと[#「ふと」に傍点]思《おも》ひ着《つ》いた、自分《じぶん》の位置《ゐち》の安全《あんぜん》を計《はか》るには、女主人《をんなあるじ》の穴藏《あなぐら》に隱《かく》れてゐるのが上策《じやうさく》と。而《さう》して彼《かれ》は一|日中《にちゞゆう》、又《また》一晩中《ひとばんぢゆう》、穴藏《あなぐら》の中《なか》に立盡《たちつく》し、其翌日《そのよくじつ》も猶且《やはり》出《で》ぬ。で、身體《からだ》が甚《ひど》く凍《こゞ》えて了《しま》つたので、詮方《せんかた》なく、夕方《ゆふがた》になるのを待《ま》つて、こツそり[#「こツそり」に傍点]と自分《じぶん》の室《へや》には忍《しの》び出《で》て來《き》たものゝ、夜明《よあけ》まで身動《みうごき》もせず、室《へや》の眞中《まんなか》に立《た》つてゐた。すると明方《あけがた》、未《ま》だ日《ひ》の出《で》ぬ中《うち》、女主人《をんなあるじ》の方《はう》へ暖爐造《だんろつくり》の職人《しよくにん》が來《き》た。イワン、デミトリチは彼等《かれら》が厨房《くりや》の暖爐《だんろ》を直《なほ》しに來《き》たのであるのは知《し》つてゐたのであるが、急《きふ》に何《なん》だか然《さ》うでは無《な》いやうに思《おも》はれて來《き》て、是《これ》は屹度《きつと》警官《けいくわん》が故《わざ》と暖爐職人《だんろしよくにん》の風體《ふうてい》をして來《き》たのであらうと、心《こゝろ》は不覺《そゞろ》、氣《き》は動顛《どうてん》して、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]卒《いきなり》、室《へや》を飛出《とびだ》したが、帽《ばう》も被《かぶ》らず、フロツクコートも着《き》ずに、恐怖《おそれ》に驅《か》られたまゝ、大通《おほどほり》を眞《ま》一|文字《もんじ》に走《はし》るのであつた。一|匹《ぴき》の犬《いぬ》は吠《ほ》えながら彼《かれ》を追《お》ふ。後《うしろ》の方《はう》では農夫《のうふ》が叫《さけ》ぶ。イワン、デミトリチは兩耳《りやうみゝ》がガンとして、世界中《せかいぢゆう》の有《あら》ゆる壓制《あつせい》が、今《いま》彼《かれ》の直《す》ぐ背後《うしろ》に迫《せま》つて、自分《じぶん》を追駈《おひか》けて來《き》たかのやうに思《おも》はれた。
彼《かれ》は捕《とら》へられて家《いへ》に引返《ひきかへ》されたが、女主人《をんなあるじ》は醫師《いしや》を招《よ》びに遣《や》られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは來《き》て彼《かれ》を診察《しんさつ》したのであつた。
而《さう》して頭《あたま》を冷《ひや》す藥《くすり》と、桂梅水《けいばいすゐ》とを服用《ふくよう》するやうにと云《い》つて、不好《いや》さうに頭《かしら》を振《ふ》つて、立歸《たちかへ》り際《ぎは》に、もう二|度《ど》とは來《こ》ぬ、人《ひと》の氣《き》の狂《くる》ふ邪魔《じやま》を爲《す》るにも當《あた》らないからとさう云《い》つた。
恁《か》くてイワン、デミトリチは宿《やど》を借《かり》る事《こと》も、療治《れうぢ》する事《こと》も、錢《ぜに》の無《な》いので出來兼《できか》ぬる所《ところ》から、幾干《いくばく》もなくして町立病院《ちやうりつびやうゐん》に入《い》れられ、梅毒病患者《ばいどくびやうくわんじや》と同室《どうしつ》する事《こと》となつた。然《しか》るに彼《かれ》は毎晩《まいばん》眠《ねむ》らずして、我儘《わがまゝ》を云《い》つては他《ほか》の患者等《くわんじやら》の邪魔《じやま》をするので、院長《ゐんちやう》のアンドレイ、エヒミチは彼《かれ》を六|號室《がうしつ》の別室《べつしつ》へ移《うつ》したのであつた。
一|年《ねん》を經《へ》て、町《まち》ではもうイワン、デミトリチの事《こと》は忘《わす》れて了《しま》つた。彼《かれ》の書物《しよもつ》は女主人《をんなあるじ》が橇《そり》の中《なか》に積重《つみかさ》ねて、軒下《のきした》に置《お》いたのであるが、何處《どこ》からともなく、子供等《こどもら》が寄《よ》つて來《き》ては、一|册《さつ》持《も》ち行《ゆ》き、二|册《さつ》取去《とりさ》り、段々《だん/\》に皆《みんな》何《いづ》れへか消《き》えて了《しま》つた。
(四)
イワン、デミトリチの左《ひだり》の方《はう》の隣《となり》は、猶太人《ジウ》のモイセイカであるが、右《みぎ》の方《はう》にゐる者《もの》は、全然《まるきり》意味《いみ》の無《な》い顏《かほ》をしてゐる、油切《あぶらぎ》つて、眞圓《まんまる》い農夫《のうふ》、疾《と》うから、思慮《しりよ》も、感覺《かんかく》も皆無《かいむ》になつて、動《うご》きもせぬ大食《おほぐ》ひな、不汚《ふけつ》極《きはま》る動物《どうぶつ》で、始終《しゞゆう》鼻《はな》を突《つ》くやうな、胸《むね》の惡《わる》くなる臭氣《しうき》を放《はな》つてゐる。
彼《かれ》の身《み》の周《まは》りを掃除《さうぢ》するニキタは、其度《そのたび》に例《れい》の鐵拳《てつけん》を振《ふる》つては、力《ちから》の限《かぎ》り彼《かれ》を打《う》つのであるが、此《こ》の鈍《にぶ》き動物《どうぶつ》は、音《ね》をも立《た》てず、動《うご》きをもせず、眼《め》の色《いろ》にも何《なん》の感《かん》じをも現《あら》はさぬ。唯《たゞ》重《おも》い樽《たる》のやうに、少《すこ》し蹌踉《よろけ》るのは見《み》るのも氣味《きみ》が惡《わる》い位《くらゐ》。
六|號室《がうしつ》の第《だい》五|番目《ばんめ》は、元來《もと》郵便局《いうびんきよく》とやらに勤《つと》めた男《をとこ》で、氣《き》の善《い》いやうな、少《すこ》し狡猾《ずる》いやうな、脊《せ》の低《ひく》い、瘠《や》せたブロンヂンの、利發《りかう》らしい瞭然《はつきり》とした愉快《ゆくわい》な眼付《めつき》、些《ちよつ》と見《み》ると恰《まる》で正氣《しやうき》のやうである。彼《かれ》は何《なに》か大切《たいせつ》な祕密《ひみつ》な物《もの》を有《も》つてゐると云《い》ふやうな風《ふう》をしてゐる。枕《まくら》の下《した》や、寐臺《ねだい》の何處《どこ》かに、何《なに》かをそツと[#「そツと」に傍点]隱《かく》して置《お》く、其《そ》れは盜《ぬす》まれるとか、奪《うば》はれるとか、云《い》ふ氣遣《きづかひ》の爲《た》めではなく人《ひと》に見《み》られるのが恥《はづ》かしいのでさうして隱《かく》して置《お》く物《もの》がある。時々《とき/″\》同室《どうしつ》の者等《ものら》に脊《せ》を向《む》けて、獨《ひとり》窓《まど》の所《ところ》に立《た》つて、何《なに》かを胸《むね》に着《つ》けて、頭《かしら》を屈《かゞ》めて熟視《みい》つてゐる樣子《やうす》。誰《たれ》か若《も》し近着《ちかづき》でもすれば、極《きまり》惡《わる》さうに急《いそ》いで胸《むね》から何《なに》かを取《と》つて隱《かく》して了《しま》ふ。然《しか》し其祕密《そのひみつ》は直《すぐ》に解《わか》るのである。
『私《わたくし》をお祝《いは》ひなすつて下《くだ》さい。』
と、彼《かれ》は時々《とき/″\》イワン、デミトリチに云《い》ふことがある。
『私《わたくし》は第《だい》二|等《とう》のスタニスラウの勳章《くんしやう》を貰《もら》ひました。此《こ》の第《だい》二|等《とう》の勳章《くんしやう》は、全體《ぜんたい》なら外國人《ぐわいこくじん》でなければ貰《もら》へないのですが、私《わたくし》には其《そ》の、特別《とくべつ》を以《もつ》てね、例外《れいぐわい》と見《み》えます。』
と、彼《かれ》は訝《いぶ》かるやうに些《ちよつ》と眉《まゆ》を寄《よ》せて微笑《びせう》する。
『實《じつ》を申《まを》しますと、是《これ》はちと意外《いぐわい》でしたので。』
『私《わたくし》は奈何《どう》もさう云《い》ふものに就《つ》いては、全然《まるで》解《わか》らんのです。』
とイワン、デミトリチは愁《うれ》はしさうに答《こた》へる。
『然《しか》し私《わたくし》が早晩《さうばん》手《て》に入《い》れやうと思《おも》ひますのは、何《なん》だか知《し》つておゐでになりますか。』
先《もと》の郵便局員《いうびんきよくゐん》は、さも狡猾《ずる》さうに眼《め》を細《ほそ》めて云《い》ふ。
『私《わたくし》は屹度《きつと》此度《こんど》は瑞典《スウエーデン》の北極星《ほくきよくせい》の勳章《くんしやう》を貰《もら》はうと思《おも》つて居《を》るです、其勳章《そのくんしやう》こそは骨《ほね》を折《を》る甲斐《かひ》のあるものです。白《しろ》い十|字架《じか》に、黒《くろ》リボンの附《つ》いた、其《そ》れは立派《りつぱ》です。』
此《こ》の六|號室程《がうしつほど》單調《たんてう》な生活《せいくわつ》は、何處《どこ》を尋《たづ》ねても無《な》いであらう。朝《あさ》には患者等《くわんじやら》は、中風患者《ちゆうぶくわんじや》と、油切《あぶらぎ》つた農夫《のうふ》との外《ほか》は皆《みな》玄關《げんくわん》に行《い》つて、一つ大盥《おほだらひ》で顏《かほ》を洗《あら》ひ、病院服《びやうゐんふく》の裾《すそ》で拭《ふ》き、ニキタが本院《ほんゐん》から運《はこ》んで來《く》る、一|杯《ぱい》に定《さだ》められたる茶《ちや》を錫《すゞ》の器《うつは》で啜《すゝ》るのである。正午《ひる》には酢《す》く漬《つ》けた玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》と、飯《めし》とで食事《しよくじ》をする。晩《ばん》には晝食《ひるめし》の餘《あま》りの飯《めし》を食《た》べるので。其間《そのあひだ》は横《よこ》になるとも、睡《ねむ》るとも、空《そら》を眺《なが》めるとも、室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へ歩《ある》くとも、恁《か》うして毎日《まいにち》を送《おく》つてゐる。
新《あたら》しい人《ひと》の顏《かほ》は六|號室《がうしつ》では絶《た》えて見《み》ぬ。院長《ゐんちやう》アンドレイ、エヒミチは新《あらた》な瘋癲患者《ふうてんくわんじや》はもう疾《と》くより入院《にふゐん》せしめぬから。又《また》誰《ゝれ》とて這麼瘋癲者《こんなふうてんしや》の室《へや》に參觀《さんくわん》に來《く》る者《もの》も無《な》いから。唯《たゞ》二ヶ|月《げつ》に一|度《ど》丈《だ》け、理髮師《とこや》のセミヨン、ラザリチ計《ばか》り此《こゝ》へ來《く》る、其男《そのをとこ》は毎《いつ》も醉《よ》つてニコ/\しながら遣《や》つて來《き》て、ニキタに手傳《てつだ》はせて髮《かみ》を刈《か》る、彼《かれ》が見《み》えると患者等《くわんじやら》は囂々《がや/\》と云《い》つて騷《さわ》ぎ出《だ》す。
恁《か》く患者等《くわんじやら》は理髮師《とこや》の外《ほか》には、唯《たゞ》ニキタ一人《ひとり》、其《そ》れより外《ほか》には誰《たれ》に遇《あ》ふことも、誰《たれ》を見《み》ることも叶《かな》はぬ運命《うんめい》に定《さだ》められてゐた。
しかるに近頃《ちかごろ》に至《いた》つて不思議《ふしぎ》な評判《ひやうばん》が院内《ゐんない》に傳《つた》はつた。
院長《ゐんちやう》が六|號室《がうしつ》に足繁《あしゝげ》く訪問《はうもん》し出《だ》したとの風評《ひやうばん》。
(五)
不思議《ふしぎ》な風評《ひやうばん》である。
ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風變《ふうがは》りな人間《にんげん》で、青年《せいねん》の頃《ころ》
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