ひと》は言《い》ふてゐる位《くらゐ》。で、彼《かれ》は此《こ》の町《まち》の活《い》きた字引《じびき》とせられてゐた。
彼《かれ》は非常《ひじやう》に讀書《どくしよ》を好《この》んで、屡※[#二の字点、1−2−22]《しば/\》倶樂部《くらぶ》に行《い》つては、神經的《しんけいてき》に髭《ひげ》を捻《ひね》りながら、雜誌《ざつし》や書物《しよもつ》を手當次第《てあたりしだい》に剥《は》いでゐる、讀《よ》んでゐるのではなく咀《か》み間合《まにあ》はぬので鵜呑《うのみ》にしてゐると云《い》ふやうな鹽梅《あんばい》。讀書《どくしよ》は彼《かれ》の病的《びやうてき》の習慣《しふくわん》で、何《な》んでも凡《およ》そ手《て》に觸《ふ》れた所《ところ》の物《もの》は、其《そ》れが縱令《よし》去年《きよねん》の古新聞《ふるしんぶん》で有《あ》らうが、暦《こよみ》であらうが、一|樣《やう》に饑《う》えたる者《もの》のやうに、屹度《きつと》手《て》に取《と》つて見《み》るのである。家《いへ》にゐる時《とき》も毎《いつ》も横《よこ》になつては、猶且《やはり》、書見《しよけん》に耽《ふ》けつてゐる。
(三)
ある秋《あき》の朝《あさ》のこと、イワン、デミトリチは外套《ぐわいたう》の襟《えり》を立《た》てゝ泥濘《ぬか》つてゐる路《みち》を、横町《よこちやう》、路次《ろじ》と經《へ》て、或《あ》る町人《ちやうにん》の家《いへ》に書付《かきつけ》を持《も》つて金《かね》を取《と》りに行《い》つたのであるが、猶且《やはり》毎朝《まいあさ》のやうに此《こ》の朝《あさ》も氣《き》が引立《ひきた》たず、沈《しづ》んだ調子《てうし》で或《あ》る横町《よこちやう》に差掛《さしかゝ》ると、折《をり》から向《むかふ》より二人《ふたり》の囚人《しうじん》と四|人《にん》の銃《じゆう》を負《お》ふて附添《つきそ》ふて來《く》る兵卒《へいそつ》とに、ぱつたり[#「ぱつたり」に傍点]と出會《でつくわ》す。彼《かれ》は何時《いつ》が日《ひ》も囚人《しうじん》に出會《でつくわ》せば、同情《どうじやう》と不愉快《ふゆくわい》の感《かん》に打《う》たれるのであるが、其日《そのひ》は又《また》奈何云《どうい》ふものか、何《なん》とも云《い》はれぬ一|種《しゆ》の不好《いや》な感覺《かんかく》が、常《つね》にもあらずむら/\[#「むら/\」に傍点]と湧《わ》いて、自分《じぶん》も恁《か》く枷《かせ》を箝《は》められて、同《おな》じ姿《すがた》に泥濘《ぬかるみ》の中《なか》を引《ひ》かれて、獄《ごく》に入《いれ》られはせぬかと、遽《にはか》に思《おも》はれて慄然《ぞつ》とした。其《そ》れから町人《ちやうにん》の家《いへ》よりの歸途《かへり》、郵便局《いうびんきよく》の側《そば》で、豫《かね》て懇意《こんい》な一人《ひとり》の警部《けいぶ》に出遇《であ》つたが警部《けいぶ》は彼《かれ》に握手《あくしゆ》して數歩計《すうほばか》り共《とも》に歩《ある》いた。すると、何《なん》だか是《これ》が又《また》彼《かれ》には只事《たゞごと》でなく怪《あや》しく思《おも》はれて、家《いへ》に歸《かへ》つてからも一|日中《にちぢゆう》、彼《かれ》の頭《あたま》から囚人《しうじん》の姿《すがた》、銃《じゆう》を負《お》ふてる兵卒《へいそつ》の顏《かほ》などが離《はな》れずに、眼前《がんぜん》に閃付《ちらつ》いてゐる、此《こ》の理由《わけ》の解《わか》らぬ煩悶《はんもん》が怪《あや》しくも絶《た》えず彼《かれ》の心《こゝろ》を攪亂《かくらん》して、書物《しよもつ》を讀《よ》むにも、考《かんが》ふるにも、邪魔《じやま》をする。彼《かれ》は夜《よる》になつても燈《あかり》をも點《つ》けず、夜《よも》すがら眠《ねむ》らず、今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》され、獄《ごく》に繋《つな》がれはせぬかと唯《たゞ》其計《そればか》りを思《おも》ひ惱《なや》んでゐるのであつた。
然《しか》し無論《むろん》、彼《かれ》は自身《じしん》に何《なん》の罪《つみ》もなきこと、又《また》將來《しやうらい》に於《おい》ても殺人《さつじん》、窃盜《せつたう》、放火《はうくわ》などの犯罪《はんざい》は斷《だん》じて爲《せ》ぬとは知《し》つてゐるが、又《また》獨《ひとり》つく/″\と恁《か》うも思《おも》ふたのであつた。故意《こい》ならず犯罪《はんざい》を爲《な》すことが無《な》いとも云《い》はれぬ、人《ひと》の讒言《ざんげん》、裁判《さいばん》の間違《まちがひ》などは有《あ》り得《う》べからざる事《こと》だとは云《い》はれぬ、抑《そもそ》も裁判《さいばん》の間違《まちがひ》は、今日《こんにち》の裁判《さいばん》の状態《じやうたい》にては、最《もつと》も有《あ》り有《う》べき事《こと》なので、總《そう》じて他人《たにん》の艱難《かんなん》に對《たい》しては、事務上《じむじやう》、職務上《しよくむじやう》の關係《くわんけい》を有《も》つてゐる人々《ひと/″\》、例《たと》へば裁判官《さいばんくわん》、警官《けいくわん》、醫師《いし》、とかと云《い》ふものは、年月《ねんげつ》の經過《けいくわ》すると共《とも》に、習慣《しふくわん》に依《よ》つて遂《つひ》には其相手《そのあいて》の被告《ひこく》、或《あるひ》は患者《くわんじや》に對《たい》して、單《たん》に形式以上《けいしきいじやう》の關係《くわんけい》を有《も》たぬやうに望《のぞ》んでも出來《でき》ぬやうに、此《こ》の習慣《しふくわん》と云《い》ふ奴《やつ》がさせて了《しま》ふ、早《はや》く言《い》へば彼等《かれら》は恰《あだか》も、庭《には》に立《た》つて羊《ひつじ》や、牛《うし》を屠《ほふ》り、其《そ》の血《ち》には氣《き》が着《つ》かぬ所《ところ》の劣等《れつとう》の人間《にんげん》と少《すこ》しも選《えら》ぶ所《ところ》は無《な》いのだ。
翌朝《よくあさ》イワン、デミトリチは額《ひたひ》に冷汗《ひやあせ》をびつしより[#「びつしより」に傍点]と掻《か》いて、床《とこ》から吃驚《びつくり》して跳起《はねおき》た。もう今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》されると思《おも》はれて。而《さう》して自《みづか》ら又《また》深《ふか》く考《かんが》へた。恁《か》くまでも昨日《きのふ》の奇《く》しき懊惱《なやみ》が自分《じぶん》から離《はな》れぬとして見《み》れば、何《なに》か譯《わけ》があるのである、さなくて此《こ》の忌《いま》はしい考《かんがへ》が這麼《こんな》に執念《しふね》く自分《じぶん》に着纒《つきまと》ふてゐる譯《わけ》は無《な》いと。
『や、巡査《じゆんさ》が徐々《そろ/\》と窓《まど》の傍《そば》を通《とほ》つて行《い》つた、怪《あや》しいぞ、やゝ、又《また》誰《たれ》か二人《ふたり》家《うち》の前《まへ》に立留《たちとゞま》つてゐる、何故《なぜ》默《だま》つてゐるのだらうか?』
是《これ》よりしてイワン、デミトリチは日夜《にちや》を唯《たゞ》煩悶《はんもん》に明《あか》し續《つゞ》ける、窓《まど》の傍《そば》を通《とほ》る者《もの》、庭《には》に入《い》る者《もの》は皆《みな》探偵《たんてい》かと思《おも》はれる。正午《ひる》になると毎日《まいにち》警察署長《けいさつしよちやう》が、町盡頭《まちはづれ》の自分《じぶん》の邸《やしき》から警察《けいさつ》へ行《い》くので、此《こ》の家《いへ》の前《まへ》を二|頭馬車《とうばしや》で通《とほ》る、するとイワン、デミトリチは其度毎《そのたびごと》、馬車《ばしや》が餘《あま》り早《はや》く通《とほ》り過《す》ぎたやうだとか、署長《しよちやう》の顏付《かほつき》が別《べつ》で有《あ》つたとか思《おも》つて、何《な》んでも此《こ》れは町《まち》に重大《ぢゆうだい》な犯罪《はんざい》が露顯《あら》はれたので其《そ》れを至急《しきふ》報告《はうこく》するのであらうなどと極《き》めて、頻《しき》りに其《そ》れが氣《き》になつてならぬ。
家主《いへぬし》の女主人《をんなあるじ》の處《ところ》に見知《みし》らぬ人《ひと》が來《き》さへすれば其《そ》れも苦《く》になる。門《もん》の呼鈴《よびりん》が鳴《な》る度《たび》に惴々《びく/\》しては顫上《ふるへあが》る。巡査《じゆんさ》や、憲兵《けんぺい》に遇《あ》ひでもすると故《わざ》と平氣《へいき》を粧《よそほ》ふとして、微笑《びせう》して見《み》たり、口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いて見《み》たりする。如何《いか》なる晩《ばん》でも彼《かれ》は拘引《こういん》されるのを待《ま》ち構《かま》へてゐぬ時《とき》とては無《な》い。其《そ》れが爲《ため》に終夜《よつぴて》眠《ねむ》られぬ。が、若《も》し這麼事《こんなこと》を女主人《をんなあるじ》にでも嗅付《かぎつ》けられたら、何《なに》か良心《りやうしん》に咎《とが》められる事《こと》があると思《おも》はれやう、那樣疑《そんなうたがひ》でも起《おこ》されたら大變《たいへん》と、彼《かれ》はさう思《おも》つて無理《むり》に毎晩《まいばん》眠《ね》た振《ふり》をして、大鼾《おほいびき》をさへ發《か》いてゐる。然《しか》し這麼心遣《こんなこゝろづかひ》は事實《じゝつ》に於《おい》ても、普通《ふつう》の論理《ろんり》に於《おい》ても考《かんが》へて見《み》れば實《じつ》に愚々《ばか/\》しい次第《しだい》で、拘引《こういん》されるだの、獄舍《らうや》に繋《つな》がれるなど云《い》ふ事《こと》は良心《りやうしん》にさへ疚《やま》しい所《ところ》が無《な》いならば少《すこ》しも恐怖《おそる》るに足《た》らぬ事《こと》、這麼事《こんなこと》を恐《おそ》れるのは精神病《せいしんびやう》に相違《さうゐ》なき事《こと》、と、彼《かれ》も自《みづか》ら思《おも》ふて是《こゝ》に至《いた》らぬのでも無《な》いが、偖《さて》又《また》考《かんが》へれば考《かんが》ふる程《ほど》迷《まよ》つて、心中《しんちゆう》は愈々《いよ/\》苦悶《くもん》と、恐怖《きようふ》とに壓《あつ》しられる。で、彼《かれ》ももう思慮《かんが》へる事《こと》の無益《むえき》なのを悟《さと》り、全然《すつかり》失望《しつばう》と、恐怖《きようふ》との淵《ふち》に沈《しづ》んで了《しま》つたのである。
彼《かれ》は其《そ》れより獨居《どくきよ》して人《ひと》を避《さ》け初《はじ》めた。職務《しよくむ》を取《と》るのは前《まへ》にも不好《いや》であつたが、今《いま》は猶《なほ》一|層《そう》不好《いや》で堪《たま》らぬ、と云《い》ふのは、人《ひと》が何時《いつ》自分《じぶん》を欺《だま》して、隱《かくし》にでも密《そつ》と賄賂《わいろ》を突込《つきこ》みは爲《せ》ぬか、其《そ》れを訴《うつた》へられでも爲《せ》ぬか、或《あるひ》は公書《こうしよ》の如《ごと》きものに詐欺《さぎ》同樣《どうやう》の間違《まちがひ》でも爲《し》はせぬか、他人《たにん》の錢《ぜに》でも無《な》くしたり爲《し》はせぬか。と、無暗《むやみ》に恐《おそろし》くてならぬので。
春《はる》になつて雪《ゆき》も次第《しだい》に解《と》けた或日《あるひ》、墓場《はかば》の側《そば》の崖《がけ》の邊《あたり》に、腐爛《ふらん》した二つの死骸《しがい》が見付《みつ》かつた。其《そ》れは老婆《らうば》と、男《をとこ》の子《こ》とで、故殺《こさつ》の形跡《けいせき》さへ有《あ》るのであつた。町《まち》ではもう到《いた》る所《ところ》、此《こ》の死骸《しがい》のことゝ、下手人《げしゆにん》の噂計《うはさばか》り、イワン、デミトリチは自分《じぶん》が殺《ころ》したと思《おも》はれは爲《せ》ぬかと、又《また》しても氣《き》が氣《き》ではなく、通《とほり》を歩《ある》きながらも然《さう》思《おも》はれまいと微笑《び
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