トリチの聲《こゑ》。
『現實《げんじつ》と云《い》ふ事《こと》は全《まつた》く貴方《あなた》には解《わか》らんのです、貴方《あなた》は未嘗《いまだかつ》て苦《くるし》んだ事《こと》は無《な》いのですから。然《しか》し私《わたくし》は生《うま》れた其日《そのひ》より今日迄《こんにちまで》、絶《た》えず苦痛《くつう》を嘗《な》めてゐるのです、其故《それゆゑ》私《わたくし》は自分《じぶん》を貴方《あなた》よりも高《たか》いもの、萬事《ばんじ》に於《おい》て、より多《おほ》く精通《せいつう》してゐるものと認《みと》めて居《を》るです。ですから貴方《あなた》が私《わたくし》に教《をし》へると云《い》ふ場合《ばあひ》で無《な》いのです。』
『私《わたくし》は何《なに》も貴方《あなた》を自分《じぶん》の信仰《しんかう》に向《むか》はせやうと云《い》ふ權利《けんり》を主張《しゆちやう》はせんのです。』院長《ゐんちやう》は自分《じぶん》を解《わか》つて呉《く》れ人《て》の無《な》いので、さも殘念《ざんねん》と云《い》ふやうに。『然云《さうい》ふ譯《わけ》では無《な》いのです、其《そ》れは貴方《あなた》が苦痛《くつう》を嘗《な》めて、私《わたくし》が嘗《な》めないといふことではないのです。詮《せん》ずる所《ところ》、苦痛《くつう》も快樂《くわいらく》も移《うつ》り行《ゆ》くもので、那樣事《そんなこと》は奈何《どう》でも可《い》いのです。で、私《わたくし》が言《い》はうと思《おも》ふのは、貴方《あなた》と私《わたくし》とが思想《しさう》するもの、相共《あひとも》に思想《しさう》したり、議論《ぎろん》を爲《し》たりする力《ちから》が有《あ》るものと認《みと》めてゐるといふことです。縱令《たとひ》我々《われ/\》の意見《いけん》が何《ど》の位《くらゐ》違《ちが》つても、此《こゝ》に我々《われ/\》の一|致《ち》する所《ところ》があるのです。貴方《あなた》が若《も》し私《わたくし》が一|般《ぱん》の無智《むち》や、無能《むのう》や、愚鈍《ぐどん》を何《ど》れ程《ほど》に厭《いと》ふて居《を》るかと知《し》つて下《くだ》すつたならば、又《また》如何《いか》なる喜《よろこび》を以《もつ》て、恁《か》うして貴方《あなた》と話《はなし》をしてゐるかと云《い》ふ事《こと》を知《し》つて下《くだ》すつたな
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