ねお》きしていられたのである。
教室でも先生が変化したことは、同じことだった。坂市君や、源五兵衛《げんごべえ》君や、照次郎《てるじろう》君などが、知らない文字をうのみにして読本《とくほん》を読んでいっても、最初のころのように、え、え、と、優美にとがめるようなことはされなくなった。年よりの、ぜんそくもちの石黒先生と同じように、知らんふりしてズボンのポケットに両手をつっこんで、つくえのあいだを散歩していられるのであった。
こういうぐあいに、すべての点で藤井先生はいなかの気ふうにならされ、のみならず、いなかふうをマスターするようにさえなったのだが、石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ屁《へ》にだけは、あくまで妥協できなかったのである。
情景はおおよそ、次第《しだい》がきまっていた。まず最初にそれを発見するのは、石太郎の前にいる学科のきらいな、さわぐことのすきな、顔ががま[#「がま」に傍点]ににている古手屋の遠助《とおすけ》である。かれは、先生のまじめなお話などいささかもわからないので、どんなに、クラス全体が一生けんめいに先生の話に傾聴《けいちょう》しているときでも「あっ、くさっ、あ
前へ
次へ
全25ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング