和太郎さんと牛
新美南吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)もの憂《う》い

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)村の一文|商《あきな》いやが、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)結合がある[#「ある」に傍点]
−−−−−−−−−−−−−

       一

 牛ひきの和太郎さんは、たいへんよい牛をもっていると、みんながいっていました。だが、それはよぼよぼの年とった牛で、おしりの肉がこけて落ちて、あばら骨も数えられるほどでした。そして、から車をひいてさえ、じきに舌を出して、苦しそうにいきをするのでした。
 「こんな牛の、どこがいいものか、和太はばかだ。こんなにならないまえに、売ってしまって、もっと若い、元気のいいのを買えばよかったんだ」
と、次郎左《じろうざ》ェ門《もん》さんはいうのでした。次郎左ェ門さんは若いころ、東京にいて、新聞の配達夫をしたり、外国人の宣教師の家で下男《げなん》をしたりして、さまざま苦労したすえ、りくつがすきで仕事がきらいになって村にもどったという人でありました。
 しかし、次郎左ェ門さんがそういっても、和太郎さんのよぼよぼ牛は、和太郎さんにとってはたいそうよい牛でありました。
 どういうわけなのでしょうか。
 人間にはだれしもくせがあります。和太郎さんにもひとつ悪いくせがあって、和太郎さんはそれをいわれると、いつもおそれいって頭をかき、ついでに背中《せなか》のかゆいところまでかくのですが、それというのはお酒を飲むことでありました。
 村から町へいくとちゅう、道ばたに大きい松が一本あり、そのかげに茶店《ちゃみせ》が一軒ありました。ちょうどうまいぐあいに、松の木が一本と茶店が一軒ならんであるということが、和太郎さんにはよくなかったのです。というのは、松の木というものは牛をつないでおくによいもので、茶店というものはお酒の好きな人が、ちょっと一服するによいものだからです。
 そこで和太郎さんは、そこを通りかかると、つい、牛を松につないで、ふらふらと茶店にはいって、ちょっと一服してしまうのでした。
 ちょっと一服のつもりで、和太郎さんは茶店にはいるのです。けれど酒を飲んでいるうちに、人間の考えはよくかわってしまうものです。もうちょっと、もうちょっと
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