トから懐中|時計《どけい》をつまみ出して、時間を見ました。少佐は、ふとそれに目をとめて、
「あ、ちょっと待ちたまえ。その時計を見せてくれないか」
「とけい?」
中国人は、なぜそんなことをいうのか、ふ[#「ふ」に傍点]におちないようすで、おずおずさし出しました。少佐が手にとってみますと、それは、たしかに、十年まえ、じぶんが張紅倫《ちょうこうりん》にやった時計です。
「きみ、張紅倫というんじゃないかい」
「えっ!」と、中国人のわかものは、びっくりしたようにいいましたが、すぐ、「わたし、張紅倫ない」
と、くびをふりました。
「いや、きみは紅倫君だろう。わしが古井戸の中に落ちたのを、すくってくれたことを、おぼえているだろう? わしは、わかれるとき、この時計をきみにやったんだ」
「わたし、紅倫ない。あなたのようなえらい人、あなに落ちることない」
といってききません。
「じゃあ、この時計はどうして手に入れたんだ」
「買った」
「買った? 買ったのか。そうか。それにしてもよくにた時計があるもんだな。ともかくきみは紅倫にそっくりだよ。へんだね。いや、失礼、よびとめちゃって」
「さよなら」
中国人はもう一ぺん、ぺこんとおじぎをして、出ていきました。
そのよく日、会社へ、少佐にあてて無名の手紙がきました。あけてみますと、読みにくい中国語で、
『わたくしは紅倫です。あの古井戸からおすくいしてから、もう十年もすぎましたこんにち、あなたにおあいするなんて、ゆめのような気がしました。よく、わたくしをおわすれにならないでいてくださいました。わたくしの父はさく年死にました。わたくしはあなたとお話がしたい。けれど、お話したら、中国人のわたくしに、軍人だったあなたが古井戸の中からすくわれたことがわかると、今の日本では、あなたのお名まえにかかわるでしょう。だから、わたくしはあなたにうそをつきました。わたくしは、あすは、中国へかえることにしていたところです。さよなら、おだいじに。さよなら』
と、だいたい、そういう意味のことが書いてありました。
[#入力者註:底本では「中国」「支那」が共に使われているが、「中国」に統一した。混用すると作者の意図と別の意味が生じると思われるからである。また、書かれた時代から考えると「支那」で統一すべきかもしれないが、この童話を今読むためには「中国」が良いだろうと考えた。]
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年2月20日初版発行
1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:渥美浩子
1999年7月4日公開
青空文庫作成ファイル:
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