八
「お前さん、しばらく見えなかっただね、一昨年《おととし》の正月も昨年の正月もなくなられた大旦那《おおだんな》が、あれが来ないがどうしたろうと言っておらしたに」
「ああ、去年は大病《おおや》みをやり、一昨年は恰度《ちょうど》旧正月の朝親父が死んだもので、どうしても来られなかっただ。御隠居も夏死なしたそうだな。俺《おれ》あ今きいてびっくりしたところだよ」と木之助はいった。
「そうかね、お前さん知らなかっただね」と年とった女中はいって、それから優しく咎《とが》めるような口調で言葉をついだ。「去年の正月はほんとに大旦那はお前さんのことを言っておらしただに。どうしよっただろう、もう門附けなんかしてもつまらんと思って止《や》めよっただろうか、病気でもしていやがるか、ってそりゃ気にして見えただよ」
木之助は熱いものがこみあげて来るような気がした。「ほうかな、ほうかな」といってきいていた。
年とった女中はそれから、もう一ぺんひっ返して、大旦那の御仏前《ごぶつぜん》で供養《くよう》に胡弓を弾くことをすすめた。「そいでも、若い御主人が嫌《きら》うだろ」と木之助がしりごむと、女中は、「なにが
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