く言った。
「ああ、そいじゃ、そうしてくれ。いやどうも俺の方が悪かった。それじゃもういくら上げたらいいかな」と木之助はまた財布を出して、半ば開いた。
「そうさな、他《ほか》の客なら八十銭に売るところだが、お前さんはもと[#「もと」に傍点]を知っとるから、六十銭にしとこう」
 木之助の財布を持っている手が怒《いか》りのために震えた。
「そ、そげな、馬鹿なことが。あんまり人の足元を見やがるな。三十銭で取っといて、三十分とたたねえうちに倍の値で――」
「やだきゃ、やめとけよ」と女主人は遮《さえぎ》って素気《すげ》なくいった。
 木之助は財布の中を見るともう十五銭しかなかった。いつもの習慣で家を出るとき金を持って出なかった。で、さっき由太のクレヨンを買うときは、味噌屋で貰《もら》ったお銭《あし》で払ったのだ。十五銭はその残りだった。
 火鉢の横にならべた三十銭を一枚一枚拾って財布に入れると、木之助は黙って財布を腹の中へ入れた。そして力なく古物屋を出た。
 午後の三時頃だった。また空は曇り、町は冷えて来た。足の先の凍えが急に身に沁《し》みた。木之助は右も左もみず、深くかがみこんで歩いていった。



底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年7月16日第1刷発行
※外字として入力した「※[#「仝」の「工」に代えて「吉」、屋号を示す記号、59−12]」は底本では、「〈吉」と組まれています。
※この作品の「胡弓」は、中国の楽器ではなく、和楽器である。和楽器では唯一の擦弦(弓で弦をこする)楽器で、江戸時代初期の出現といわれる。形状は三味線によく似ているが、棹がずっと短く、胴に足(チェロのエンドピンのようなもの)がついている。三弦だけでなく四弦のものもあり、胴自体も最初のうちは丸いものが普通だったという。皮はやはりねこ皮を用い、長さ約1メートルの紫檀もしくは竹製の弓には馬の尻尾の毛をゆるく張る。演奏時には、楽器を両膝の間に置き、直立させて弾く。(入力者)
入力校正者:浜野 智
1999年3月1日公開
2003年10月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング