った。朝から大分の道のりを歩いたので腹が空《す》いていたが、弁当《べんとう》を使う場所がなかなか見つからなかった。もう少しゆくと空地《あきち》があったから行こうと松次郎が言うので、ついて行って見るとそこには木の香《か》も新しい立派な家が立っていたりした。
腹がへっては勝《かち》はとれぬから、もう仕方がない、横丁《よこちょう》にでもはいって家のかげで食べようと話をきめたとき、二人は大きい門構《もんがま》えの家の前を通りかかった。そこには立派な門松《かどまつ》が立ててあり、門の片方の柱には、味噌《みそ》溜《たまり》と大きく書かれた木の札《ふだ》がかかっていた。黒い板塀《いたべい》で囲まれた屋敷は広くて、倉のようなものが三つもあった。
「あ、ここだ、ここは去年五銭くれたぞ」と松次郎がいった。で二人は、そこをもう一軒すましてから弁当をとることにした。
木之助が先になってはいってゆくと、
「う、う、う……」と低く唸《うな》る声がした。木之助はぎくりとした。犬が大嫌《だいきら》いだったのだ。
「松つあん、さきいってくれや」と松次郎に嘆願すると、
「胡弓がさきにはいってかにゃ、出来んじゃねえか」と答えた。松次郎も怖《こわ》かったのに違いない。
木之助は虎《とら》の尾でもふむように、びくびくしながら玄関の方へ近づいてゆくと、足はまた自然にとまってしまった。大きな赤犬が、入口の用水桶《ようすいおけ》の下にうずくまってこちらを見ているのだった。
「松つあん、さき行ってや」と木之助は泣きそうになっていった。
「馬鹿、胡弓がさき行くじゃねえか」と松次郎は吐き出すようにいったが、松次郎の眼《め》も恐ろしそうに犬の方を見ていた。
二人は戻《もど》って行こうかと思った。しかし五銭のことを思うと残念だった。そこで木之助が勇気を出して、一足ふみ出して見た。すると犬は、右にねていたしっぽを左へこてん[#「こてん」に傍点]とかえした。また木之助は動けなくなってしまった。
五銭は欲《ほ》しかったし、犬は恐ろしかったので、二人は進退に困っていると、うしろから誰かがやって来た。この家の下男《げなん》のような人で法被《はっぴ》をきていた。木之助たちを見ると、
「小さい門附けが来たな、どうしただ、犬が恐《おそ》げえのか」といって人が好《よ》さそうに笑った。犬はその人を見るとむくりと体を起して、尾を三つば
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