吊《つ》り下《さが》り、その下で木之助は好きな胡弓を牛飼について弾いた。
旧正月がついにやって来た。木之助は従兄《いとこ》の松次郎と組になって村をでかけた。松次郎は太夫さんなので、背中に旭日《あさひ》と鶴《つる》の絵が大きく画《か》いてある黒い着物をき、小倉《こくら》の袴《はかま》をはき、烏帽子《えぼし》をかむり、手に鼓を持っていた。木之助はよそ行きの晴衣《はれぎ》にやはり袴をはき、腰に握り飯の包みをぶらさげ、胡弓を持っていた。松次郎はもう二度ばかり門附《かどづ》けに行ったことがあるので、一向平気だったが、始めての木之助は恥《はずか》しいような、誇らしいような、心配なような、妙な気持だった。殊《こと》に村を出るまでは、顔を知った人たちにあうたびに、顔がぽっと赧《あか》くなって、いっそ大きい風呂敷《ふろしき》にでも胡弓を包んで来ればよかったと思った。それは父親が大奮発《だいふんぱつ》で買ってくれた上等の胡弓だった。
二人が村を出て峠道《とうげみち》にさしかかると、うしろから、がらがらと音がして町へ通ってゆく馬車がやって来た。それを見ると松次郎はしめしめ、といった。あいつに乗ってゆこう、といった。
木之助はお銭《あし》を持っていなかったので、
「おれ、一銭もないもん」というと、
「馬鹿《ばか》だな、ただ乗りするんだ」と言った。
馬車は輪鉄《わがね》の音をやかましくあたりに響かせながら近附いて来た。いつもの、聾《つんぼ》の爺《じい》さんが馭者台《ぎょしゃだい》にのっていた。それは木之助の村から五里ばかり西の海ばたの町から、木之助の村を通って東の町へ、一日に二度ずつ通う馬車であった。木之助と松次郎は道のぐろにのいて馬車をやりすごした。
馬車のうしろには、乗客が乗り下《お》りするとき足を掛ける小さい板がついていた。松次郎はそれにうまく跳《と》びついて、うしろ向きに腰をかけた。木之助の場所はもうなかったので木之助は馬車について走らなければならなかった。胡弓を持っているし、坂道なので木之助はふうふう言いながら走ったが、沢山《たくさん》走る必要はなかった。
馬車は半町《はんちょう》もいかないうちにぴたととまってしまった。松次郎は慌《あわ》てて跳びおりた。ほっぽこ頭巾《ずきん》から眼《め》だけ出した馭者の爺さんが鞭《むち》を持って下りて来た。
「おれ、知らんげや、知らんげ
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