、あんなところに蜂《はち》の巣《す》をかけられては、味噌部屋《みそべや》へ味噌《みそ》をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話《はな》しました。
海蔵《かいぞう》さんは、水《みず》をのみにいっている間《あいだ》に利助《りすけ》さんの牛《うし》が椿《つばき》の葉《は》を喰《く》ってしまったことを話《はな》して、
「あそこの道《みち》ばたに井戸《いど》があったら、いいだろにのオ。」と、いいました。
「そりゃ、道《みち》ばたにあったら、みんながたすかる。」
と、いって、お母《かあ》さんは、あの道《みち》の暑《あつ》い日盛《ひざか》りに通《とお》る人々《ひとびと》をかぞえあげました。大野《おおの》の町《まち》から車《くるま》をひいて来《く》る油売《あぶらう》り、半田《はんだ》の町《まち》から大野《おおの》の町《まち》へ通《とお》る飛脚屋《ひきゃくや》、村《むら》から半田《はんだ》の町《まち》へでかけてゆく羅宇屋《らうや》の富《とみ》さん、そのほか沢山《たくさん》の荷馬車曳《にばしゃひ》き、牛車曳《ぎゅうしゃひ》き、人力曳《じんりきひ》き、遍路《へんろ》さん、乞食《こじき》、学校生徒《がっこうせいと》などをかぞえあげました。これらの人《ひと》ののど[#「のど」に傍点]がちょうどしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]あたりで乾《かわ》かぬわけにはいきません。
「だで、道《みち》のわきに井戸《いど》があったら、どんなにかみんながたすかる。」
と、お母《かあ》さんは話《はなし》をむすびました。
三十|円《えん》くらいで、その井戸《いど》が掘《ほ》れるということを、海蔵《かいぞう》さんが話《はな》しました。
「うちのような貧乏人《びんぼうにん》にゃ、三十|円《えん》といや大《たい》した金《かね》で眼《め》がまうが、利助《りすけ》さんとこのような成金《なりきん》にとっちゃ、三十|円《えん》ばかりは何《なん》でもあるまい。」
と、お母《かあ》さんはいいました。海蔵《かいぞう》さんは、せんだって利助《りすけ》さんが、山林《さんりん》でたいそうなお金《かね》を儲《もう》けたそうなときいたことをおもいだしました。
ひと風呂《ふろ》あびてから、海蔵《かいぞう》さんは牛車曳《ぎゅうしゃひ》きの利助《りすけ》さんの家《いえ》へ出《で》かけました。
うしろ山《やま》で、ほオほオ
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