り] の信仰に、却つて一種敬虔な感を持つやうになつた。無學な父には夜と晝のやうに明白な眞理なんだ。
 眞理は信仰から生れる。信仰のない者には眞理がない。すべて無だ。水蒸氣の樣なものだ。すべてが無である事はその者が生きてゐない事だ。だから人間の存在すると云ふ事は、その者が信仰を持つてゐると云ふ事だ。

             8

 信仰に善惡があるか。客觀的にはあらうが、主觀的にはない。自分の信仰が正しくないと分つた時、その信仰は信仰でなくなる。
 信仰に大小があるか。主觀的にも客觀的にもある。或る物にぶつかつて、心に迷が生ずる。即ち彼に信仰の不足が生じてゐるからだ。
 では、すべての宇宙間に存する物に一點の迷をもたぬ信仰をもつ事が出來るか。それは釋迦だ。孔子だ。基督だ。
 彼等の信仰は皆色彩を異にするけれど、その大きさは同じだ。昔から多くの人に尊敬されて來た理由として私は新しい解釋を加へよう。
「彼等の信仰が宇宙と同じ大きさであつたからだ。したがつて間隙のない人生を生きたからだ。」
 小學校の生徒に、教壇から、社會の醜をさとす。「皆さん、社會は學校と違ふ。醜いものですぞ。」けれども
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