すびと》だ。そういう人《ひと》ごみの中《なか》では、人《ひと》のふところや袂《たもと》に気《き》をつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして来《こ》い。その笛《ふえ》はここへ置《お》いていけ。」
|角兵ヱ《かくべえ》は叱《しか》られて、笛《ふえ》を草《くさ》の中《なか》へおき、また村《むら》にはいっていきました。
おしまいに帰《かえ》って来《き》たのは鉋太郎《かんなたろう》でした。
「きさまも、ろくなものは見《み》て来《こ》なかったろう。」
と、きかないさきから、かしらがいいました。
「いや、金持《かねも》ちがありました、金持《かねも》ちが。」
と鉋太郎《かんなたろう》は声《こえ》をはずませていいました。金持《かねも》ちときいて、かしらはにこにことしました。
「おお、金持《かねも》ちか。」
「金持《かねも》ちです、金持《かねも》ちです。すばらしいりっぱな家《いえ》でした。」
「うむ。」
「その座敷《ざしき》の天井《てんじょう》と来《き》たら、さつま杉《すぎ》の一枚板《いちまいいた》なんで、こんなのを見《み》たら、うちの親父《おやじ》はどんなに喜《よろこ》ぶかも知《し》れない、と思《おも》って、あっしは見《み》とれていました。」
「へっ、面白《おもしろ》くもねえ。それで、その天井《てんじょう》をはずしてでも来《く》る気《き》かい。」
鉋太郎《かんなたろう》は、じぶんが盗人《ぬすびと》の弟子《でし》であったことを思《おも》い出《だ》しました。盗人《ぬすびと》の弟子《でし》としては、あまり気《き》が利《き》かなかったことがわかり、鉋太郎《かんなたろう》はバツのわるい顔《かお》をしてうつむいてしまいました。
そこで鉋太郎《かんなたろう》も、もういちどやりなおしに村《むら》にはいっていきました。
「やれやれだ。」
と、ひとりになったかしらは、草《くさ》の中《なか》へ仰向《あおむ》けにひっくりかえっていいました。
「盗人《ぬすびと》のかしらというのもあんがい楽《らく》なしょうばいではないて。」
二
とつぜん、
「ぬすとだッ。」
「ぬすとだッ。」
「そら、やっちまえッ。」
という、おおぜいの子供《こども》の声《こえ》がしました。子供《こども》の声《こえ》でも、こういうことを聞《き》いては、盗人《ぬすびと》としてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんと跳《と》びあがりました。そして、川《かわ》にとびこんで向《む》こう岸《ぎし》へ逃《に》げようか、藪《やぶ》の中《なか》にもぐりこんで、姿《すがた》をくらまそうか、と、とっさのあいだに考《かんが》えたのであります。
しかし子供達《こどもたち》は、縄切《なわき》れや、おもちゃの十手《じって》をふりまわしながら、あちらへ走《はし》っていきました。子供達《こどもたち》は盗人《ぬすびと》ごっこをしていたのでした。
「なんだ、子供達《こどもたち》の遊《あそ》びごとか。」
とかしらは張《は》り合《あ》いがぬけていいました。
「遊《あそ》びごとにしても、盗人《ぬすびと》ごっことはよくない遊《あそ》びだ。いまどきの子供《こども》はろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが思《おも》いやられる。」
じぶんが盗人《ぬすびと》のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草《くさ》の中《なか》にねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、
「おじさん。」
と声《こえ》をかけられました。ふりかえって見《み》ると、七|歳《さい》くらいの、かわいらしい男《おとこ》の子《こ》が牛《うし》の仔《こ》をつれて立《た》っていました。顔《かお》だちの品《ひん》のいいところや、手足《てあし》の白《しろ》いところを見《み》ると、百姓《ひゃくしょう》の子供《こども》とは思《おも》われません。旦那衆《だんなしゅう》の坊《ぼ》っちゃんが、下男《げなん》について野《の》あそびに来《き》て、下男《げなん》にせがんで仔牛《こうし》を持《も》たせてもらったのかも知《し》れません。だがおかしいのは、遠《とお》くへでもいく人《ひと》のように、白《しろ》い小《ちい》さい足《あし》に、小《ちい》さい草鞋《わらじ》をはいていることでした。
「この牛《うし》、持《も》っていてね。」
かしらが何《なに》もいわないさきに、子供《こども》はそういって、ついとそばに来《き》て、赤《あか》い手綱《たづな》をかしらの手《て》にあずけました。
かしらはそこで、何《なに》かいおうとして口《くち》をもぐもぐやりましたが、まだいい出《だ》さないうちに子供《こども》は、あちらの子供《こども》たちのあとを追《お》って走《はし》っていってしまいました。あの子供《こども》たちの仲間《なかま》になるために、この草鞋《わらじ》をはいた子供《こども》はあとをも見《み》ずにいってしまいました。
ぼけんとしているあいだに牛《うし》の仔《こ》を持《も》たされてしまったかしらは、くッくッと笑《わら》いながら牛《うし》の仔《こ》を見《み》ました。
たいてい牛《うし》の仔《こ》というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、持《も》っているのがやっかいなものですが、この牛《うし》の仔《こ》はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大《おお》きな眼《め》をしばたたきながら、かしらのそばに無心《むしん》に立《た》っているのでした。
「くッくッくッ。」
とかしらは、笑《わら》いが腹《はら》の中《なか》からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子《でし》たちに自慢《じまん》ができるて。きさまたちが馬鹿《ばか》づらさげて、村《むら》の中《なか》をあるいているあいだに、わしはもう牛《うし》の仔《こ》をいっぴき盗《ぬす》んだ、といって。」
そしてまた、くッくッくッと笑《わら》いました。あんまり笑《わら》ったので、こんどは涙《なみだ》が出《で》て来《き》ました。
「ああ、おかしい。あんまり笑《わら》ったんで涙《なみだ》が出《で》て来《き》やがった。」
ところが、その涙《なみだ》が、流《なが》れて流《なが》れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが涙《なみだ》を流《なが》すなんて、これじゃ、まるで泣《な》いてるのと同《おな》じじゃないか。」
そうです。ほんとうに、盗人《ぬすびと》のかしらは泣《な》いていたのであります。――かしらは嬉《うれ》しかったのです。じぶんは今《いま》まで、人《ひと》から冷《つめ》たい眼《め》でばかり見《み》られて来《き》ました。じぶんが通《とお》ると、人々《ひとびと》はそら変《へん》なやつが来《き》たといわんばかりに、窓《まど》をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声《こえ》をかけると、笑《わら》いながら話《はな》しあっていた人《ひと》たちも、きゅうに仕事《しごと》のことを思《おも》い出《だ》したように向《む》こうをむいてしまうのでありました。池《いけ》の面《おもて》にうかんでいる鯉《こい》でさえも、じぶんが岸《きし》に立《た》つと、がばッと体《たい》をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻《さるまわ》しの背中《せなか》に負《お》われている猿《さる》に、柿《かき》の実《み》をくれてやったら、一口《ひとくち》もたべずに地《じ》べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌《きら》っていたのです。みんながじぶんを信用《しんよう》してはくれなかったのです。ところが、この草鞋《わらじ》をはいた子供《こども》は、盗人《ぬすびと》であるじぶんに牛《うし》の仔《こ》をあずけてくれました。じぶんをいい人間《にんげん》であると思《おも》ってくれたのでした。またこの仔牛《こうし》も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛《ははうし》ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供《こども》も仔牛《こうし》も、じぶんを信用《しんよう》しているのです。こんなことは、盗人《ぬすびと》のじぶんには、はじめてのことであります。人《ひと》に信用《しんよう》されるというのは、何《なん》といううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、美《うつく》しい心《こころ》になっているのでありました。子供《こども》のころにはそういう心《こころ》になったことがありましたが、あれから長《なが》い間《あいだ》、わるい汚《きたな》い心《こころ》でずっといたのです。久《ひさ》しぶりでかしらは美《うつく》しい心《こころ》になりました。これはちょうど、垢《あか》まみれの汚《きたな》い着物《きもの》を、きゅうに晴《は》れ着《ぎ》にきせかえられたように、奇妙《きみょう》なぐあいでありました。
――かしらの眼《め》から涙《なみだ》が流《なが》れてとまらないのはそういうわけなのでした。
やがて夕方《ゆうがた》になりました。松蝉《まつぜみ》は鳴《な》きやみました。村《むら》からは白《しろ》い夕《ゆう》もやがひっそりと流《なが》れだして、野《の》の上《うえ》にひろがっていきました。子供《こども》たちは遠《とお》くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声《こえ》が、ほかのもの音《おと》とまじりあって、ききわけにくくなりました。
かしらは、もうあの子供《こども》が帰《かえ》って来《く》るじぶんだと思《おも》って待《ま》っていました。あの子供《こども》が来《き》たら、「おいしょ。」と、盗人《ぬすびと》と思《おも》われぬよう、こころよく仔牛《こうし》をかえしてやろう、と考《かんが》えていました。
だが、子供《こども》たちの声《こえ》は、村《むら》の中《なか》へ消《き》えていってしまいました。草鞋《わらじ》の子供《こども》は帰《かえ》って来《き》ませんでした。村《むら》の上《うえ》にかかっていた月《つき》が、かがみ職人《しょくにん》の磨《みが》いたばかりの鏡《かがみ》のように、ひかりはじめました。あちらの森《もり》でふくろうが、二声《ふたこえ》ずつくぎって鳴《な》きはじめました。
仔牛《こうし》はお腹《なか》がすいて来《き》たのか、からだをかしらにすりよせました。
「だって、しようがねえよ。わしからは乳《ちち》は出《で》ねえよ。」
そういってかしらは、仔牛《こうし》のぶちの背中《せなか》をなでていました。まだ眼《め》から涙《なみだ》が出《で》ていました。
そこへ四|人《にん》の弟子《でし》がいっしょに帰《かえ》って来《き》ました。
三
「かしら、ただいま戻《もど》りました。おや、この仔牛《こうし》はどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの盗人《ぬすびと》じゃない。おれたちが村《むら》を探《さぐ》りにいっていたあいだに、もうひと仕事《しごと》しちゃったのだね。」
|釜右ヱ門《かまえもん》が仔牛《こうし》を見《み》ていいました。かしらは涙《なみだ》にぬれた顔《かお》を見《み》られまいとして横《よこ》をむいたまま、
「うむ、そういってきさまたちに自慢《じまん》しようと思《おも》っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」
といいました。
「おや、かしら、涙《なみだ》……じゃございませんか。」
と海老之丞《えびのじょう》が声《こえ》を落《お》としてききました。
「この、涙《なみだ》てものは、出《で》はじめると出《で》るもんだな。」
といって、かしらは袖《そで》で眼《め》をこすりました。
「かしら、喜《よろこ》んで下《くだ》せえ、こんどこそは、おれたち四|人《にん》、しっかり盗人根性《ぬすっとこんじょう》になって探《さぐ》って参《まい》りました。|釜右ヱ門《かまえもん》は金《きん》の茶釜《ちゃがま》のある家《いえ》を五|軒《けん》見《み》とどけますし、海老之丞《えびのじょう》は、五つの土蔵《どぞう》の錠《じょう》をよくしらべて、曲《ま》がった釘《くぎ》一|本《ぽん》であけられることをたしかめますし、大工《
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