の気《き》のつかないところをしてやろうと、御堂《みどう》の裏《うら》へまわって、藪《やぶ》と御堂《みどう》の間《あいだ》のしめった落《お》ち葉《ば》をはいた。裏《うら》へまわっていいことをしたと思《おも》った。それは僕《ぼく》の好《す》きな白椿《しろつばき》が咲《さ》いているのを見《み》つけたからだ。
 何《なん》というよい花《はな》だろう。白《しろ》い花《か》べんがふかぶかとかさなりあい、花《か》べんの影《かげ》がべつの花《か》べんにうつって、ちょっとクリーム色《いろ》に見《み》える。神《かみ》さまも、この花《はな》をつつむには、特別上等《とくべつじょうとう》の澄《す》んだやわらかな春光《しゅんこう》をつかっていらっしゃるとしか思《おも》えない。そのうえ、またこの木《き》の葉《は》がすばらしい。一|枚《まい》一|枚《まい》名工《めいこう》がのみで彫《ほ》ってつけたような、厚《あつ》い固《かた》い感《かん》じで、黒《くろ》と見《み》えるほどの濃緑色《のうりょくしょく》は、エナメルをぬったようにつややかで、陽《ひ》のあたる方《ほう》の葉《は》は眼《め》に痛《いた》いくらい光《ひかり》を反射《はんしゃ》するのだ。
 じつにすばらしい花《はな》が日本《にっぽん》にはあるものだ。いつかお父《とう》さんが、日本《にっぽん》ほど自然《しぜん》の美《び》にめぐまれている国《くに》はないとおっしゃったが、ほんとうにそうだと思《おも》う。
 掃除《そうじ》が終《お》わって、いよいよ第《だい》二十|回《かい》常会《じょうかい》を開《ひら》こうとしていると、きこりのような男《おとこ》の人《ひと》が、顔《かお》の長《なが》い、耳《みみ》の大《おお》きい爺《じい》さんを乳母車《うばぐるま》にのせて、尼寺《あまでら》の境内《けいだい》にはいって来《き》た。
 きけばその爺《じい》さんは深谷《ふかだに》の人《ひと》で、ごんごろ鐘《がね》がこんど献納《けんのう》されるときいて、お別《わか》れに来《き》たのだそうだ。乳母車《うばぐるま》をおして来《き》たのは爺《じい》さんの息子《むすこ》さんだった。
 深谷《ふかだに》というのは僕《ぼく》たちの村《むら》から、三|粁《キロ》ほど南《みなみ》の山《やま》の中《なか》にある小《ちい》さな谷《たに》で、僕《ぼく》たちは秋《あき》きのこをとりに行《い》って、のどがかわくと、水《みず》を貰《もら》いに立《た》ち寄《よ》るから、よく知《し》っているが、家《いえ》が四|軒《けん》あるきりだ。電燈《でんとう》がないので、今《いま》でも夜《よる》はランプをともすのだ。その近所《きんじょ》には今《いま》でも狐《きつね》や狸《たぬき》がいるそうで、冬《ふゆ》の夜《よる》など、人《ひと》が便所《べんじょ》にゆくため戸外《こがい》に出《で》るときには、戸《と》をあけるまえに、まず丸太《まるた》をうちあわせたり、柱《はしら》を竹《たけ》でたたいたりして、戸口《とぐち》に来《き》ている狐《きつね》や狸《たぬき》を追《お》うのだそうだ。
 お爺《じい》さんは、ごんごろ鐘《がね》の出征《しゅっせい》の日《ひ》を、一|日《にち》まちがえてしまって、ついにごんごろ鐘《がね》にお別《わか》れが出来《でき》なかったことを、たいそう残念《ざんねん》がり、口《くち》を大《おお》きくあけたまま、鐘《かね》のなくなった鐘楼《しゅろう》の方《ほう》を見《み》ていた。
「きのう、お別《わか》れだといって、あげん子供《こども》たちが、ごんごん鳴《な》らしたが、わからなかっただかね。」
と庵主《あんじゅ》さんも気《き》の毒《どく》そうにいうと、
「ああ、この頃《ごろ》は耳《みみ》の聞《き》こえる日《ひ》と聞《き》こえぬ日《ひ》があってのオ。きんの[#「きんの」に傍点]は朝《あさ》から耳《みみ》ん中《なか》で蠅《はえ》が一|匹《ぴき》ぶんぶんいってやがって、いっこう聞《き》こえんだった。」
と、お爺《じい》さんは答《こた》えるのだった。
 お爺《じい》さんは息子《むすこ》さんに、町《まち》までつれていって鐘《かね》に一目《ひとめ》あわせてくれ、と頼《たの》んだが、息子《むすこ》さんは、仕事《しごと》をしなきゃならないからもうごめんだ、といって、お爺《じい》さんののった乳母車《うばぐるま》をおして、門《もん》を出《で》ていった。
 僕《ぼく》たちは、しばらく、塀《へい》の外《そと》をきゅろきゅろと鳴《な》ってゆく乳母車《うばぐるま》の音《おと》をきいていた。僕《ぼく》はお爺《じい》さんの心《こころ》を思《おも》いやって、深《ふか》く同情《どうじょう》せずにはいられなかった。
 それから僕《ぼく》たちの常会《じょうかい》がはじまった。するとまっさきに松男君《まつおくん》が、
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