ことは忘れてしまった。
 日ぐれに東一君は家へ帰って来た。奥の居間《いま》のすみに、あのランプがおいてあった。しかし、ランプのことを何かいうと、またおじいさんにがみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。
 夕御飯のあとの退屈な時間が来た。東一君はたんすにもたれて、ひき出しのかん[#「かん」に傍点]をカタンカタンといわせていたり、店に出てひげを生《は》やした農学校の先生が『大根《だいこん》栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。
 そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、そのほやをはずしてみたり、五銭|白銅貨《はくどうか》ほどのねじ[#「ねじ」に傍点]をまわして、ランプの芯《しん》を出したりひっこめたりしていた。
 すこしいっしょうけんめいになっていじくっていると、またおじいさんにみつかってしまった。けれどこんどはおじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと煙管筒《きせるづつ》をぬきながら、こういった。
「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉《うれ》しいもんだ」
 東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒《おこ》っていたのかと思ったら、昔のランプに逢《あ》うことができて喜んでいたのである。
「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐《すわ》れ」
とおじいさんがいった。
 東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当《げいとう》をしたのである。
 おじいさんの話というのは次のようであった。

 今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。岩滑新田《やなべしんでん》の村に巳之助《みのすけ》という十三の少年がいた。
 巳之助は、父母も兄弟もなく、親戚《し
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