クスリとわらいました。
松吉も杉作も、生まれてからまだ一ども、床屋《とこや》でかみをかってもらったことはありませんでした。いつもふたりのかみをかったのは、おとうさんか、おかあさんの手ににぎられたバリカンでした。そのバリカンは、もう五、六年まえから、ひどく調子《ちょうし》が悪く、ときどき、ぐわッと大きくかみついて、とることもどうすることもできなくなってしまうようなしまつでしたので、ふたりは、家でかみをかることを、あまり好んではいませんでした。
ふたりは、目の前にある、りっぱな腰かけを見ました。白いせともののひじかけがついています。おしりののるところは、黒い皮ではってあります。もたれるところも、黒い皮です。その上に、小さいまくらのようなものまで、ついています。下の方は、足をのせるかねの台があって、それにはすかしぼりの模様《もよう》があります。このりっぱな腰《こし》かけに腰かけて、やってもらうのです。ふたりはまた、なんとなく顔を見あわせました。
小平さんにうながされて、松吉と杉作は、先をゆずりあって、おたがいにすみの方へひっこみあいをしましたが、とうとう、にいさんの松吉が、先にしてもらうことになりました。
松吉はこわごわ、りっぱな腰かけにのりました。ばかに高いところに、のぼったような気がしました。すぐ前の大きい鏡に、あまりにはっきり、じぶんのひょうたん顔がうつりましたので、はずかしくなりました。
小平さんは、まっ白な布で、松吉の首から下をつつんでしまいました。手も出ませんでした。
小平さんは、どこかからバリカンをとり出してきました。バリカンは、家のと同じもののように見えました。バリカンがさわったとき、松吉は思わず首をすくめました。このバリカンも、かみつくかと思ったのです。
ポロリと、白い布の上に落ちてきたものを見ると、かられた、黒い、じぶんのかみの毛でした。なァんだ、もうかられているのかと、思いました。ちっとも、いたくないではありませんか。そこで松吉は、やっと安心して、かたの力をぬきました。
かみがかられてしまうと、松吉は、これでおしまいだと思いました。家ではいつでも、それだけだったからです。ところが、おどろいたことには、腰かけがキーイとかすかな音をたてて、うしろへたおれていきました。
「あッ。」
と、松吉は、声をたてました。しかし、腰かけはたおれたのではありませんでした。もたれだけが、うしろにのびて、腰かけている人があおむけにねるようになっただけでした。
天じょうの白壁《しらかべ》や、キャベツの玉のような形の大きい、すりガラスの電燈を見ていると、とつぜん、顔一面に、だッとなにかあついぬれたものをのせられて、目も見えなくなってしまいました。見ていた杉作が、おかしかったのか、ハハハハ、とわらっています。松吉もわらいたいのですが、顔がふさがっていて、わらうことができません。人間は、顔でわらう[#「顔でわらう」に傍点]のだということが、よくわかりました。顔にのせられたのは、むしタオルでありました。
小平さんはタオルをのけると、太い筆のようなもので、せっけんのあわを松吉の顔にぬり、かみそりで、ひたいぎわからそりはじめました。
松吉はそのとき、小平さんがまだ子どもで村にいたころ、松吉たちによくいたずらをしたことを、また思い出しました。小平さんはよくうしろから、そっときて、人の背中《せなか》へ手を入れたり、わきの下をくすぐったりしました。そして、小さい目を細くして、にやにやわらっていました。
いまも松吉は、小平さんが、そんないたずらを、はじめるのではないかと、おしりのおちつかぬ思いでした。ことに小平さんが、松吉の耳をつまんで、二どばかり、耳の毛をそったときには、松吉は、てっきり、小平さんが、むかしのいたずらをはじめたと、思いました。もうすこしで、クックッとわらいだすところでした。しかし、小平さんの顔を見ますと、まじめな顔をしていました。あそび[#「あそび」に傍点]をしているのではない、仕事[#「仕事」に傍点]をしているおとな[#「おとな」に傍点]の顔つきでありました。
松吉には、小平さんがおとなになったから、もうあそばない[#「あそばない」に傍点]ということがわかりました。おとなは仕事をするのです。たとえ、人の耳をつまんでそるというような、いたずらみたいなことでも、小平さんは仕事ですから、まじめにするのです。松吉には、おとなになるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束のように思われました。なんとなく、さみしい感じがしました。
すみの洗面所《せんめんじょ》で頭をあらい、もう一ぺん腰《こし》かけにもどり、顔に、ぬるぬるしたものをぬってもらうと、松吉の番はすみました。こんどは、弟の杉作がかわって、腰かけにのぼり
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