った。
境内を出てから四五町行くと、フト右手に新しい世帯道具を商う店があった、去り気なく近寄って所狭き迄列べられた種々な道具に眼をつけて、小首を捻《ひね》って居たが、格別気に入た品もないらしく手に取ても見ない、店では主人が品物を置換に忙がしそうである、春日は店頭《みせさき》を離れてふと顔を上げて標札をふりかえって眺め乍《なが》ら歩むうち、足元の荷車に衝当《つきあた》りかけて、ヒョイと飛退いて不審そうに、その荷車を打守った、渡邊は今朝から少からず悩まされた、馴れてはいるが今日の春日は大分変である、何の目的で歩いて居るのやら、機に臨んで要領を得ないような挙動《ようす》をやられるので始終ハラハラした心持で随《つい》てゆくのであった。
又四五町行った頃四辻へ出たが、今まで黙々と考え乍ら歩んでいた春日は急に晴やかな顔をすると、懐中《ポケット》を探って煙草に火を点けて、勢いよく角家《かど》の「貸家|老舗《しにせ》案内社」と染抜いた暖簾《のれん》を潜った、そして特別料金を払って、仔細に一枚々々綴込帳を調べた上二十分も経ってから、
「お女将《かみ》、こちらの赤線《あかすじ》で消した分は、いつ頃約束済になったのです」
「エー……それは一週間程になりますねえ」
「ではこちらの方は?」
「それは一昨日お手打が済みました」
春日は自ら手帳を出しこれを写して、そこを出ると懐中《ポケット》から時計を覗かせて、ちょっと眺めると、突如《いきなり》どしどし急速に歩き出したので、渡邊は呆れて眼を円くしながら、後れじと跡を逐《お》わねばならなかった、十分間もこんな状態が続くと、春日は△△中学校と門標のある中へサッサと這入り、名刺を出して校長に面会を求め、少時《しばらく》何か話していたが軈《やが》て生徒名簿を借受けて、拡げ出した、或一頁を読耽《よみふけ》っているから、渡邊が速記簿を出そうとすると、春日は黙って、首を振って静かに名簿を閉じると同時に、放課の鈴《りん》を小使が振った。
門を出ると春日は渡邊を顧みて、
「サアもう一軒訪問したら今日はおしまいだぜ」
渡邊は苦笑しながら、
「今朝の事件に関係があるんですか」
「まアそうだね」
「随分複雑してるじゃありませんか」
「なアに平凡さ、新田の爺さんは可愛想に運を掴み損なって居るんだね」
道は稍《やや》通行人が少くなって、店舗《みせや》は稀にしかない住宅区域の、郊外に近いところまで来た、と見ると新築間もない小締《こじんま》りした家の格子を、腹掛をした帳場の親方らしいのが雑巾がけをして、中では未だ片附かぬらしい物音が聞える、新しい標札をチラと見た春日は帽子を取て、
「御免下さい」
と案内を乞うた。玄関の障子を静に開けて丸髷の初々した二十二三の美人が、淑《しとや》かにお辞儀をした。
「中岡《なかおか》さんがお在宅《いで》なら一寸御面会願いたいですね」
名刺を差出すとどうぞ暫くと、云い残して二階へ登《あが》って行くと入違いに快活な三十歳位の男が降りて来て磊落《らいらく》な語調《ちょうし》で
「サア上って下さい、移転《ひっこし》早々で取乱して居ますが、どうぞ二階へ」
「じゃ失敬します」
渡邊の耳元へ低声《こごえ》で※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《ささや》いておいて、自分独りで二階へあがっていった、軈て低い春日の声に混って、主人《あるじ》の太い声が断片的《きれぎれ》に洩れて聞えてくる。
「……、そう責められると今更弁解がありませんな。アハ……、あれ計りのものを亡くしたからって決して悔てはいませんよ、吾々の幸福なことはまだまだ外にあります、……あれにはあれとして進むべき道がありますからね、啓《ひら》いてやりたいと思うのです、……幸福にしてやるために、払う犠牲は惜しいとは思いませんよ……」
茶を運んできた此家《このや》の美しい奥様は、耳朶《みみたぶ》を染めながら嬉気に頬笑んだ。
楽しい新家庭に訣《わかれ》をつげて、春日と渡邊が事務所へかえったのは、燈《あかり》がついてからであった。渡邊は漸く笑ましげに、
「ねエ先生、中岡という家の奥様は、若しや?」
「今判ったのか、ゆき子に違いないのさ、探偵学でも研究するものは、頭を敏活に働かせねばいかんよ、まあ掛け給え、事件の推理方法を説明しよう。
初めに見たゆき子宛の脅迫状は、書簡箋《レターペーパー》にインキでかいてあったが、その筆蹟はどうしても筆記《ノート》を永年やりつけた者か、職業的にペンを使用する人に通有の癖があったから、智識階級の仕事だと睨んだ、これが第一歩だが君は娘の部屋を見たね、鏡台の抽出《ひきだし》と机を除いて、余り冷たく生帳面《きちょうめん》に整理されてあったよ、娘の部屋として不似合にね、箪笥は平素錠を下さない癖らしく一番上の、比較的高貴でない品を入た抽出だけ常に錠を掛けてあってそこには既に何等の秘密も蔵《かく》されてなかった、地袋の中には、汚れや傷《いた》み方《かた》から観察して新年に一度か二度使用した歌留多があったね、賢い女だが昨年度の日記を葬ってしまわなかったのと、下女に買物させるに菓子を撰んだことは捜査上非常に推理を容易ならしめた、菓子箱には未だ沢山あったよ。
日記で見ると、年の暮に弟の友達と自分の知人《しりびと》を新年の歌留多会へ招待することを姉弟して相談した上で客の顔振《かおぶれ》も確定したのだけ記してあったが、僕は善太郎の学友の名を暗記しておいた、彼女《かれ》は義父の圧迫や、空虚な家庭内の淋しき生の悩みなどで神経的な沈鬱な性情に変化していたことは日記や書籍を通じてうかがい知れる、けれども近頃読で居た地袋の新刊|書籍《もの》から測るに、その煩悶を信仰によって救われて居る、その信仰に走った刺戟《しげき》と機会とを与えたものがあるね、それは、此紙包を見給え、火鉢の中から出てきた燐寸《マッチ》の燃滓《もえかす》と紙を焼いた灰だ、彼女は莨《たばこ》を喫《のま》ないぜ、この燃殻《もえかす》の紙は脅迫状の紙と同質なんだ、机の下から発見した半巾《ハンカチーフ》ね、あれには手紙を包んであった皺が瞭然《はっきり》残って、しかもナフタリンの匂《におい》が沁《し》みこんで居た、箪笥の中にあったものたることは疑われない、然りとすれば脅迫状の主と、娘とが常から通信をやっていたことになるね、不届な郵便屋だ、ここに捕縛して来た、こりゃ君、女学校で用《つか》う手芸用の箆《へら》だよ、此奴が裏の塀の根元を掘て手紙を埋めたり掘出したりした奴さ、塀の内外《うちそと》は夜なら誰にも知れず一仕事やれるからね、脅迫状にも細かく折った筋が残っていたね覚えて居るだろう、
それで近頃衣類を新しく調《こし》らえた形跡がなくて、通信用の書簡箋を鑑定するに及んで物資の窮乏を感ぜない、まア資産階級の仕業《しごと》と判った。君女は吾々と違って洋服一点張りじゃいけないのだ、これから時候は寒さに向って、加之《しかのみならず》常着《ふだんぎ》から総《すべ》てを新調して世帯道具を揃えることは中々容易じゃないよ、
公然|単独《ひとり》で墓参に行くと、そこには必ず誰か彼女を待って居るものがあった、所謂誘拐される四日前も二人は遇《あっ》た、そして女は降りかかる結婚問題を噺《はな》したのだね、相手は彼女に所有財産の放抛《ほうき》を勧め決然二人が先んじて結婚して仕舞おうと提議した、墓地を出て淋しい街を撰《よっ》て行くと、そうら道具屋があっただろう、彼所《あそこ》で相手は必要なものを注文し移転の日かその翌日……即ち今日だネ配達するように命じて、出かけにあの標札を見たのだ、それには町名が音羽町《おとわちょう》と記入してあった、それが潜在意識となってあの脅迫状の署名に不知不識《しらずしらず》に音羽組なんて茶番をやったのだよ、
それから相手の気がついたのは、非常手段で娘を奪略しても隠家《かくれが》に困ることだ、そこで案内社へ随分高い金を掴ませて到頭迅雷的に彼家《あのいえ》を買ってしまったものだ、弟と同じ家に置くのは困るからね、これで案内社へ入った理由《わけ》が判ったね次に、学校へ行ったのは、日記を調べて覚えた、善太郎という弟の学友の名前だ、名簿を見ると、『中岡|進二郎《しんじろう》、保証人実兄中岡|徹雄《てつお》』と載《のっ》てあったのだ、校長の話では某県下の大地主で両親《ふたおや》はなく文学士の兄が弟を監督して居るとのことで、もうこれで疑いの余地がなくなったから、最後に直接訪問をした訳だが、なぜあんな脅迫状を贈ったかは事実《まったく》好奇心から来た悪戯に過ぎないそうで、酷いことをしたものだ、あの人なんか人格、識見を備えて財産と大切な女の心を握て居るから、悪戯ですむが、他のものが真似《まね》でもすれば大変なことになってしまう、併し善兵衛老人も自業自得だ、娘といって、義理だがその財産を消費した以上《うえ》は公然《おもてむき》にも出来ない上に大変損な立場にある、だけれども中岡氏も捨ては置くまい今日は僕等も飛だ悪戯をして一日を過ごしたね、
何ッ、未だ聞きたいのか、アア二度目の脅迫状あんな悪戯なら誰でもやれるよ訳はない、遊びに行って先方で郵送すればいいサ、要求金額はゆき子名義の地所千七百五十坪に対する設定金額と同しだ、どうせ実行しないのは判っているからサ、エッ? 二人が相識《あいしっ》たのは歌留多会からだ、双方に理解があったのだ、今度の事件は二人共、道徳上問題だが、二人の中に関して道徳を課するのはどうかね、まア仲介者を入れて中岡氏から善兵衛老人を援助してやって旨く解決するだろう、何しろ、金も力もある色男だからねハゝゝゝゝ」
[#地付き](一九二二年十二月号)
底本:「「新趣味」傑作選 幻の探偵雑誌7」光文社文庫、光文社
2001(平成13)年11月20日初版1刷発行
初出:「新趣味」
1922(大正11)年12月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年4月9日作成
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