じ》に奢《おご》らんと。高橋その馳走《ちそう》をうけ、これにて少し腹《はら》が癒《い》えたとて去りたりと。この高橋は洋学《ようがく》にも精通《せいつう》し、後来《こうらい》有望《ゆうぼう》の人なりけるに、不幸《ふこう》にして世を早《はや》うせり。先生深く※[#「りっしんべん+宛」、第3水準1−84−51]惜《えんせき》し、厚く後事《こうじ》を恤《めぐ》まれたりという。
 慶応義塾《けいおうぎじゅく》はこの頃《ころ》、弟子いよいよ進《すす》み、その数すでに数百に達し、また旧日の比《ひ》にあらず。或夜《あるよ》、神明社《しんめいしゃ》の辺《ほとり》より失火し、予が門前《もんぜん》まで延焼《えんしょう》せり。先生の居《きょ》、同じく戒心《かいしん》あるにもかかわらず、数十の生徒《せいと》を伴《ともな》い跣足《せんそく》率先《そっせん》して池水《いけみず》を汲《くみ》ては門前に運び出し、泥塗満身《でいとまんしん》消防《しょうぼう》に尽力《じんりょく》せらるること一霎《いっしょう》時間《じかん》、依《よっ》て辛《かろ》うじてその災《さい》を免《まぬか》れたり。その後|暴人《ぼうじん》江戸|市街《
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