よ》くその光陰《こういん》を送り、今なお残喘《ざんぜん》を延《の》べ得たるは、真《しん》に先生の賜《たまもの》というべし。
以上|記《き》するところは、皆予が一身《いっしん》一箇《いっこ》の事にして、他人にこれを示《しめ》すべきものにあらず。またこれを記《しる》すとも、予が禿筆《とくひつ》、その山よりも高《たか》く海よりも深《ふか》き万分の一ツをもいい尽《つく》すこと能《あた》わず。またせめては先生の生前《せいぜん》において、予がいかにこの感泣《かんきゅう》すべきこの感謝《かんしゃ》[#「感謝」は底本では「感射」]すべき熱心《ねっしん》と、いかにこの欣戴《きんたい》し惜《お》かざる衷情《ちゅうじょう》とを具《つぶ》さに言《い》いも出《いで》ずして今日に至りたるは、先生これを何《なん》とか思われんなどと、一念《いちねん》ここに及ぶ毎《ごと》に、胸《むね》裂《さ》け腸《はらわた》砕《さ》けて、真《しん》に悔恨《かいこん》已《や》む能《あた》わざるなり。
底本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」講談社学術文庫、講談社
1985(昭和60)年3月10日第1刷発行
1998(平
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