《なかんずく》、木村摂津守の名は今なお米国において記録《きろく》に存し、また古老《ころう》の記憶《きおく》する処《ところ》にして、我海軍の歴史に堙没《いんぼつ》すべからざるものなり。
当時、諭吉は旧《きゅう》中津藩《なかつはん》の士族にして、夙《つと》に洋学《ようがく》に志し江戸に来て藩邸内《はんていない》に在りしが、軍艦の遠洋航海《えんようこうかい》を聞き、外行《がいこう》の念《ねん》自《みず》から禁ずる能《あた》わず。すなわち紹介《しょうかい》を求めて軍艦奉行《ぐんかんぶぎょう》の邸《やしき》に伺候《しこう》し、従僕《じゅうぼく》となりて随行《ずいこう》せんことを懇願《こんがん》せしに、奉行は唯《ただ》一面識《いちめんしき》の下《もと》に容易《たやす》くこれを許《ゆる》して航海《こうかい》の列《れつ》に加わるを得たり。航海中より彼地《かのち》に至《いた》りて滞在《たいざい》僅々《きんきん》数箇月なるも、所見《しょけん》所聞《しょぶん》一として新《あらた》ならざるはなし。多年来《たねんらい》西洋の書を読《よ》み理《り》を講《こう》じて多少に得たるところのその知見《ちけん》も、今や始
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