びと》かに序文《じょぶん》を乞《こ》わんと思いしが、児《じ》駿《しゅん》、側《かたわら》に在《あ》りて福沢先生の高文《こうぶん》を得ばもっとも光栄《こうえい》なるべしという。然《しか》れども先生は従来《じゅうらい》他人の書に序《じょ》を賜《たま》いたること更になし、今|強《しい》てこれを先生に煩《わずらわ》さんこと然《しか》るべからずと拒《こば》んで許さざりしに、児《じ》竊《ひそ》かにこれを携《たずさ》え先生の許《もと》に至り懇願《こんがん》せしかば、先生|速《すみやか》に肯諾《こうだく》せられ、纔《わず》か一日にして左のごとくの高序《こうじょ》を賜《たま》わりたるは、実に予の望外《ぼうがい》なり。
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木村芥舟先生は旧幕府《きゅうばくふ》旗下《きか》の士にして摂津守《せっつのかみ》と称し時の軍艦奉行《ぐんかんぶぎょう》たり。すなわち我|開国《かいこく》の後、徳川政府にて新《あらた》に編製《へんせい》したる海軍の長官《ちょうかん》なり。
日本海軍の起源《きげん》は、安政初年の頃《ころ》より長崎にて阿蘭人《オランダじん》の伝《つた》うるところにして、伝習《でんし
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