すべしとて、その後は盆《ぼん》と暮《くれ》に衣物《いぶつ》金幣《きんへい》、或は予が特に嗜好《しこう》するところの数種を添《そ》えて※[#「貝+兄」、97−15]《おく》られたり。またその時予が妻《さい》に向《むかっ》て、今日福沢諭吉は大丸《だいまる》ほどの身代《しんだい》に成りたれば、いつにても予が宅に来て数日|逗留《とうりゅう》し、意を慰《なぐさ》め給うべしとなり。
 明治十四年九月、予は従来|筆記《ひっき》し置《おき》たる小冊を刊行《かんこう》し、これを菊窓偶筆《きくそうぐうひつ》と名づけ世に公《おおやけ》にせんと欲し先生に示したれば、先生これを社員《しゃいん》それ等の事に通暁《つうぎょう》せる者に命じ、印刷《いんさつ》出板《しゅっぱん》の手続きより一切《いっさい》費用《ひよう》の事まで引受《ひきうけ》られ、日ならずして予が望《のぞみ》のごとく美《び》なる冊子《さっし》数百部を調製《ちょうせい》せしめて予に贈《おく》られたり。
 同二十四年十月、予また幕末《ばくまつ》の編年史《へんねんし》を作り、これを三十年史と名《なづ》け刊行《かんこう》して世に問《と》わんとせし時、誰人《たれ
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