挟《さしはさ》むものなかるべし。
 すなわち徳川家が七十万石の新封《しんぽう》を得て纔《わずか》にその祀《まつり》を存したるの日は勝氏が断然《だんぜん》処決《しょけつ》すべきの時機《じき》なりしに、然《しか》るにその決断ここに出でず、あたかも主家を解散《かいさん》したるその功を持参金《じさんきん》にして、新政府に嫁《か》し、維新功臣の末班《まっぱん》に列して爵位《しゃくい》の高きに居《お》り、俸禄《ほうろく》の豊《ゆたか》なるに安《やす》んじ、得々《とくとく》として貴顕《きけん》栄華《えいが》の新地位《しんちい》を占めたるは、独《ひと》り三河武士《みかわぶし》の末流として徳川|累世《るいせい》の恩義《おんぎ》に対し相済《あいす》まざるのみならず、苟《いやしく》も一個の士人たる徳義《とくぎ》操行《そうこう》において天下後世に申訳《もうしわけ》あるべからず。瘠我慢《やせがまん》一篇の精神《せいしん》も専《もっぱ》らここに疑《うたがい》を存しあえてこれを後世の輿論《よろん》に質《ただ》さんとしたるものにして、この一点については論者輩《ろんしゃはい》がいかに千言万語《せんげんばんご》を重《かさ
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