用《さいよう》を求めたる外国人ありしは、その頃の新聞紙《しんぶんし》に見えて世人の記憶《きおく》するところならん。当時或る洋学者の家などにはこの種の外国人が頻《しき》りに来訪《らいほう》して、前記のごとき計画《けいかく》を説き政府に取次《とりつぎ》を求めたるもの一にして足《た》らざりしかども、ただこれを聞流《ききなが》して取合《とりあ》わざりしという。もしもかかる事実《じじつ》を以て外国人に云々《しかじか》の企《くわだて》ありなど認むるものもあらんには大なる間違《まちがい》にして、干渉《かんしょう》の危険のごとき、いやしくも時の事情を知《し》るものの何人《なんぴと》も認めざりしところなり。
 されば王政維新《おうせいいしん》の後、新政府にては各国公使を大阪に召集《しょうしゅう》し政府|革命《かくめい》の事を告げて各国の承認《しょうにん》を求めたるに、素《もと》より異議《いぎ》あるべきにあらず、いずれも同意を表《ひょう》したる中に、仏国公使の答は徳川政府に対しては陸軍の編制《へんせい》その他の事に関し少なからざる債権《さいけん》あり、新政府にてこれを引受けらるることなれば、毛頭《もうとう
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