合に外国の事情《じじょう》にも通じたる人なれども、平生《へいぜい》の言《こと》に西洋の技術《ぎじゅつ》はすべて日本に優《まさ》るといえども医術《いじゅつ》だけは漢方《かんぽう》に及ばず、ただ洋法《ようほう》に取るべきものは熱病《ねつびょう》の治療法《ちりょうほう》のみなりとて、彼《か》の浅田宗伯《あさだそうはく》を信ずること深《ふか》かりしという。すなわちその思想《しそう》は純然たる古流《こりゅう》にして、三河武士《みかわぶし》一片の精神《せいしん》、ただ徳川|累世《るいせい》の恩義《おんぎ》に報《むく》ゆるの外|他志《たし》あることなし。
 小栗の人物《じんぶつ》は右のごとしとして、さて当時の外国人は日本国をいかに見たるやというに、そもそも彼《か》の米国の使節《しせつ》ペルリが渡来《とらい》して開国《かいこく》を促《うなが》したる最初《さいしょ》の目的は、単に薪水《しんすい》食料《しょくりょう》を求むるの便宜《べんぎ》を得んとするに過ぎざりしは、その要求《ようきゅう》の個条《かじょう》を見るも明白《めいはく》にして、その後タオンセント・ハリスが全権《ぜんけん》を帯びて来るに及び、始めて通商条約《つうしょうじょうやく》を結び、次《つい》で英露仏等の諸国も来りて新条約の仲間入《なかまいり》したれども、その目的は他に非ず、日本との交際《こうさい》は恰《あたか》も当時の流行《りゅうこう》にして、ただその流行に連《つ》れて条約を結びたるのみ。
 通商貿易《つうしょうぼうえき》の利益《りえき》など最初より期するところに非ざりしに、おいおい日本の様子《ようす》を見れば案外《あんがい》開《ひら》けたる国にして生糸《きいと》その他の物産《ぶっさん》に乏《とぼ》しからず、随《したがっ》て案外にも外国品を需用《じゅよう》するの力あるにぞ、外国人も貿易の一点に注意《ちゅうい》することと為《な》りたれども、彼等の見《み》るところはただこれ一個の貿易国《ぼうえきこく》として単にその利益《りえき》を利せんとしたるに過《す》ぎず。素《もと》より今日のごとき国交際《こくこうさい》の関係《かんけい》あるに非ざれば、大抵《たいてい》のことは出先《でさ》きの公使に一任し、本国政府においてはただ報告《ほうこく》を聞くに止《とど》まりたるその趣《おもむき》は、彼《か》の国々が従来|未開国《みかいこく》に対するの筆法《ひっぽう》に徴《ちょう》して想像《そうぞう》するに足《た》るべし。
 されば各国公使等の挙動《きょどう》を窺《うかが》えば、国際の礼儀《れいぎ》法式《ほうしき》のごとき固《もと》より眼中《がんちゅう》に置《お》かず、動《やや》もすれば脅嚇手段《きょうかくしゅだん》を用い些細《ささい》のことにも声を大《だい》にして兵力を訴《うった》えて目的《もくてき》を達すべしと公言するなど、その乱暴狼籍《らんぼうろうぜき》驚くべきものあり。外国の事情《じじょう》に通ぜざる日本人はこれを見て、本国政府の意向《いこう》も云々《うんぬん》ならんと漫《みだり》に推測《すいそく》して恐怖《きょうふ》を懐《いだ》きたるものありしかども、その挙動《きょどう》は公使一個の考《かんがえ》にして政府の意志《いし》を代表《だいひょう》したるものと見るべからず。すなわち彼等の目的《もくてき》は時機《じき》に投じて恩威《おんい》並《なら》び施《ほどこ》し、飽《あ》くまでも自国の利益《りえき》を張《は》らんとしたるその中には、公使始めこれに附随《ふずい》する一類《いちるい》の輩《はい》にも種々の人物《じんぶつ》ありて、この機会《きかい》に乗じて自《みず》から利《り》し自家《じか》の懐《ふところ》を肥《こ》やさんと謀《はか》りたるものも少なからず。
 その事実を記《しる》さんに、外国公使中にて最初《さいしょ》日本人に親《した》しかりしは米公使タオンセント・ハリスにして、ハリスは真実|好意《こうい》を以て我国《わがくに》に対したりしも、後任《こうにん》のブライン氏は前任者に引換《ひきか》え甚《はなは》だ不親切《ふしんせつ》の人なりとて評判《ひょうばん》宜《よろ》しからず。小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》が全盛《ぜんせい》の当時、常に政府に近《ちか》づきたるは仏国公使レオン・ロセツにして、小栗及び栗本鋤雲《くりもとじょうん》等とも親《した》しく交際《こうさい》し政府のために種々の策《さく》を建てたる中にも、ロセツが彼《か》の横須賀造船所《よこすかぞうせんじょ》設立の計画《けいかく》に関係《かんけい》したるがごとき、その謀計《ぼうけい》頗《すこぶ》る奇《き》なる者あり。
 当時外国公使はいずれも横浜に駐剳《ちゅうさつ》せしに、ロセツは各国人|環視《かんし》の中にては事を謀《はか》るに不便《ふべん》なるを認
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