栗本氏等の間に伝えられたるものなりなどの説あるを見れば、或は翁の死後に至りその家より出でたるものにてもあらんか)。
 依《より》て思うに、この論文はあえて世人に示すを憚《はば》かるべきものにあらず、殊《こと》にすでに世間に伝わりて転々《てんてん》伝写《でんしゃ》の間には多少字句の誤《あやまり》なきを期せざれば寧《むし》ろその本文を公にするに若《し》かざるべしとて、これを先生に乞《こ》うて時事新報の紙上に掲載《けいさい》することとなし、なお先生がこの文を勝、榎本二氏に与えたる後、明治二十五年の二月、更《さ》らに二氏の答書を促《うなが》したる手簡《しゅかん》ならびに二氏のこれに答えたる返書を後に附記して、読者の参考に供す。
  明治三十四年一月一日
[#地から2字上げ]石河幹明 記《しるす》



底本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」講談社学術文庫、講談社
   1985(昭和60)年3月10日第1刷発行
   1998(平成10)年2月20日第10刷発行
底本の親本:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社
   1901(明治34)年5月2日発行
初出:「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社
   1901(明治34)年5月2日発行
※副題の「序」は、このファイル作成時に付けたものです。
入力:kazuishi
校正:田中哲郎
2006年11月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石河 幹明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング