、べそ口を開いて、みんなに噛みつくやうに、
『おしんは、まアだ死ぬか生きつかわかんねのに、酒なんどなんで飮める! 他愛もねえ奴等だ! 邪魔だからみんな歸つてくろ。サツサツと歸つてくろ。おらお父つアんも何處サでも行つちめえ。おしんがあゝして苦しんでんのに、駄目だの死んだのと縁喜くそ惡いことばかりぬかしやがつて、惡病神だ、サツサと出て行つてくろ!』

         六

 孟宗藪が、長い手をのばしたやうにだらりと垂れかかつてゐる莊吉の家の庭隅に、縁臺を二つ置き並べ、その上にみんな褌一つであぐらをかき、中におしんの父親も混つて、茂右衞門の旦那に買はせた酒を飮んでゐる。
 おしんの父親は、禿げ上つた頭を縁臺にすりつけるやうにこゞんで、一人何かつぶやいてゐる。他の連中は大聲で話し合ふ。
『なアー、今夜の權幕で、今年は茂右衞門の小作を半分に負けさしてやんべ。』
『さうよ、それでぐづ/\ぬかしたら、みんな組んで米一粒でも持つて行かねえことにするんだ。』
『ぐづ/\言はせるもんか。鼻つぱしばかりで、いざとなつたらからきしの弱蟲野郎だかんな。今夜だつて俺が尻をまくつてあぐらを掻いてぐつと睨めてやつたら、眼をビク/\さして、へい/\言つただねえか。』
『アハヽヽヽ、茂右衞門の野郎、へへののもへ野郎、今夜はほんとにいゝ氣持だつけな。』
『こらお父つアん、頭をあげて、もつと飮めよ、何も心配することアねえど。』
『おしんがことア、俺がいゝとこへ嫁に世話してやつかんな、餓鬼の二人や三人なしたつて、若いもんだもの、屁でもねえや。』
『俺が嚊にしてやるべよ。』
『さうだ、お前に世話してやるべ。』
『世話して貰はねえでも、もうはアちやんとやつてらな、なア新公。』
『馬鹿ぬかすな、おら手もさはつたことはねえど。』
『アハヽヽ、アハヽヽヽ。』と彼等はたゞ、久しぶりに酒にありつけたことを喜んでゐる。
『おらしん[#「しん」に傍点]はほんとに可哀相な奴だアよ。』とおしんの父親は首を振りながら言ひ出す、『今だからいふけんど、人の餓鬼を二人もなすし、嫁に行つちやおん出されるし、おら、ほんとにしん[#「しん」に傍点]がことぢや苦勞しただと。そんだがおらしん[#「しん」に傍点]ばかりが惡いでねえよ。みんな惡いだ。みんながよつてたかつて、おらしん[#「しん」に傍点]をたうとうあんな目に會はしまつただ。みんなが惡いど!』
 その最後の言葉が周圍の樹立にガンと響く。
『おら、金なんぞ鐚一文もいらねえから、茂右衞門の旦那のところへ行つてそいつてくろ。しんが命返してよこせといつてくろ。しんが命返してよこせと談判してくろ。さア今ぢき行つて談判してくろ』
『お父つアんよ、早く來うよ!……』十ほどの女の兒がさう叫びながらワタ/\走つて來る、『姉ちやんが惡くなつたから、はやく來うよ、はやく來うよ。』
 そして父親の片手をぐい/\引つ張る。
『うるせい、だれが行くもんか。』と父親は子供の手を押しのける。
『さう言はねで、はやく行つてやれよ、なアお父つアん。』
 父親はよろ/\と立ち上り、門の方へ出て行く。父親は、自分の家の方へ曲らうとして、ふいにあべこべの方へ行く。
『お父つアん、どこサ行くだよ、おら家はこつちだよ。』
 女の兒が、ハラ/\した聲であとから呼びかける。しかし父親は、梟の啼いてゐる杉森の屋敷の方へ、よるべのない足どりで歩いて行く。

         七

 おしんの父親は、茂右衞門の門《もん》の扉を、足で力任せに蹴る。ドーン、ドーンといふ重い音が、森の中に反響する。そして怒鳴る。
『門を開けろ、茂右衞門、門を開けろ!』
『お父つアんよー、お父つアんよー。』
 女の兒はワー/\泣きながら、父親の背後からぢだんだ踏んで、父を呼ぶ。
 女達が二三人、そこへ走つて來る。
『おみよや、はやくこつちサ來うよ。お父つアんはな醉つぱらつてんだから構はねえで、はやく姉ちやんとこサ行けよ、姉ちやんが呼んでるよ。』
 しかし彼女はそれを耳にも入れず、
『お父つアんよー、お父つアんよー。』とわめきつゞける。と、一人の女が、全身で門の扉にぶつかつてゐる父親の首根へ、ぐいと力限り抱きつき、昂奮と涙で顫へてゐる聲で、その耳元へ叫ぶ。
『お父つアんよ。おみよが、おみよが夢中で呼んでんでねえか。はやく家サ歸つてやれよ。おしんさんが惡いだよ、おしんさんが死にさうだよ。』
 父親はそこで、外の女達に兩手を掴まへられ、尻を押しこくられて、家の方へ連れ戻されて行く。彼は、ふんぞりかへり、口から泡をふきながら苦しさうな息を吐き吐き、ガクリ/\と足を運ぶ。女の兒はその前に立ち、はだしの小さな足でほこりをぷか/\立てながら、ウーウーとうなるやうに泣いて行く。
『おみよや、はやく姉ちやんとこサ行けよ、かけて行けよ。』
 さう言はれて彼女は、髮をふり立て、ワタ/\と四五歩走り出す。が急にあとを振りかへり、そつくりかへつて歩いて來る父親を見上げて、またワーツと泣き出す。
『やれ/\可哀相に、みんなおみよが心になつてやれよ。』
『ほんとになアー、ほんとになアー……』
『泣かねえで、はやくかけて行けよ。お父つアんはぢきあとから行くかんなア。』
 おしんの家では、近所の人達が、土間に、座敷に、おしんの部屋に、それぞれ集り、みんな影のやうにぢつとして默つてゐる。その中に、おしんの母親の、息も切れ/″\におしんの名を呼びつゞけてゐる聲だけがある。
 父親は、女達に持ち運ばれるやうにして、土間へ入ると、上り框へドサリと腰を下し、そこより動かうとしない。
『はやく、おしんさんが傍サ行つてやれよ。』
『はやくよオ、はやくよオ……』
 と、父親は、いきなり肌をぬき、肘を張り、眼をギラ/\させ、土間の暗い隅を睨めながら、
『しんよ、しんよ、まだ死なねえか。構はねえからサツサと死んでくろ! 今夜のうちに、茂右衞門の野郎等を叩き殺して、あの家を燒き拂つてやんだから、はやく死んでくろ、はやく死んでくろ!』
 割れた太い聲の中に、妙に鋭どい響きの混つたそのわめき聲は、森と更けた村の往還へかうしていつ迄も響き渡つてゐた。



底本:「茨城近代文学選集2[#「2」はローマ数字、1−13−22]」常陽新聞社
   1977(昭和52)年11月30日発行
初出:「早稲田文学」
   1926(大正15)年8月
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2005年12月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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