磨り合せるやうにきこえて、僅かに湧いて來る夜の凉味をすつかり掻き消してしまふ。おしんの家から竹籔ひとつ隔てた家の主人莊吉とその女房は背中合せに縁臺へ寢そべつて、泥水の中の魚のやうに暑苦しい息を吐いてゐる。と、そこへ、
『おしんさんが惡いとよ、死にさうだとよ。』といふ知らせが傳はる。女房は起き上つて、
『そりやまア、けふ雨乞ひのかへりにかくらん[#「かくらん」に傍点]を起したちうが、まだ落ちつかねえのか。』
『なアーに、かくらんは直つただが、急に流産しただとよ。』
『やれまア、子供持つてたのかや。……これお父つアん、起きてちよつくらおしんさんが家サ行つて見てやれよ。』
 莊吉はごろりと起きて、ふんぞりかへり大欠伸をして、それから門《かど》を出て行く。
 おしんの父親は、座敷の薄暗いランプの下に一人あぐらをかいてグイ/\冷酒をあほつてゐる。
『もう駄目でがサ、さつき先生が來て見て行つただが、藥も盛らねえで歸つてしまつたでサ。』
 さう言つてゐるうしろの座敷では、おしんの母親が絶え入りさうな聲で、おしんの名を呼びつゞけてゐる。
『駄目だとつて、うつちやつといちやなんねえ。町の醫者どんを頼んで來べえか。』と莊吉は言ふ。
『ナーニ、うつちやつとけ。もうはア、身體中の血が下りちまつて、指の先まで眞白になつちまつたんだからな、死んだと同じこつたよ。』
『おしんよー、おしんよー……』
『うるせい、默んねえか、死んだもんが、何で生きかへる、くそ!』と父親はうしろの座敷へ怒鳴りつける。
 そこへ三四人の若者が、みんな肌ぬぎで入つて來る。卒倒したおしんに雨乞ひの水をやつていゝか惡いかを、村の出戸で夕方まで論じ合つてゐた連中である。
『お父つアん、話をつけて來たよ、安心しろ。』と上り框にドサリと腰を下しながら一人がいふ、
『こつちの權幕にびつくらしてな、茂右衞門の旦那、へイ/\だつけよ。あした銀行から金を下げて來て屆けやすから、今夜のところは穩やかにしてくれろ、といふ譯サ。その上、酒二升と肴を買はせることにして來たよ。そいつア今ぢきに屆けて來るかんな、今夜はまアそれで諦めるとしろよ、なアお父つアん。』
『お父つアん、こゝで酒なんど飮まれてなるもんかよ。』さう言ひながらおしんの母親が奧から出て來る。腹の方まではだかつた無地の單衣を引きずり、涙でべた/\になつた顏の中に、ぢく/\した眼を光らせ
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